上阪香苗

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死没 1974年昭和49年〉12月10日
所属組織 日本海軍
軍歴 1916年大正5年〉 - 1945年昭和20年〉
上阪 香苗
生誕 1892年明治25年〉10月8日
日本の旗 日本滋賀県
死没 1974年昭和49年〉12月10日
所属組織 日本海軍
軍歴 1916年大正5年〉 - 1945年昭和20年〉
最終階級 海軍少将
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上阪 香苗(こうさか かなえ、1892年明治25年〉10月8日 - 1974年昭和49年〉12月10日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍少将滋賀県大津市出身。

旧制滋賀県立膳所中学校より海軍兵学校第43期入校。 当時の海軍兵学校は受験を3度までしか認めておらず、上阪は兵学校の受験に2度失敗し、最後の受験で入校が認められた。 海軍砲術学校高等科卒業後は砲術畑を歩んだが、大佐進級後は航空に移った点で、戸塚道太郎海軍中将や同期生の有馬正文海軍中将と似た経歴をたどる。 太平洋戦争中は一時的に航空戦隊司令官を務めた以外は、一貫して航空本部補職が続いた。

人物像

練習航海で同じ艦に乗組んだ同期生の高木惣吉海軍少将は、死去するまで大親友だった。高木の回想では、上阪は青春期の苦労を全く感じさせない温和で物静かな人物だったという。

年譜

脚注

参考文献

関連項目

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