下総航空基地
海上自衛隊の航空基地
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下総航空基地(しもふさこうくうきち、JMSDF Shimofusa Air Base)は、千葉県柏市にある海上自衛隊の飛行場・航空基地。「下総」は東日本旅客鉄道の成田線などでの駅名で見られる「下総○○(しもうさ○○)」とは異なりウ音便化せず「しもふさ」と読み、ローマ字ではヘボン式に「SHIMOFUSA」と記す。

国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成

国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成
所在地は千葉県柏市藤ケ谷であるが、敷地は隣接する鎌ケ谷市粟野、及び佐津間にまたがり、滑走路南端は鎌ケ谷市の中心部にも近い[1]。
教育航空集団司令部、下総教育航空群、海上自衛隊第3術科学校、海上自衛隊航空補給処の下総支処などが置かれており、哨戒機P-3Cを使用した海上自衛隊航空要員の教育訓練等を行っている。
また、習志野演習場などで陸上自衛隊第1空挺団が行う空挺降下訓練支援を行っている。訓練の際は航空自衛隊のC-1、C-130輸送機が飛来し、当基地で陸上自衛官を乗せて演習場上空へ飛び立つ。また、訓練に使われる輸送機は離着陸時の騒音が大きく、生活環境に影響を及ぼすとして基地のホームページ上に日付と概略を掲載している。
沿革
- 1929年(昭和4年) - 「武蔵野カンツリー倶楽部藤ヶ谷コース」として開発される(当時、隣接の六実コースと合わせ東洋一の規模のゴルフ場であった)
- 1944年(昭和19年) - 本土防空のため帝国陸軍が接収し、飛行場化
- 1945年(昭和20年)
- 1959年(昭和34年) - 日米共用飛行場になる
- 1960年(昭和35年)6月 - 基地全面返還
- 1961年(昭和36年)
- 1962年(昭和37年)9月1日 - 第4航空群が下総航空基地に新編。滑走路、管制塔等の施設が改修される
- 1965年(昭和40年)2月1日 - 下総航空工作所が新編、横須賀地方隊に編入
- 1968年(昭和43年)3月 - 移動通信隊が新編、中央通信隊群に編入
- 1969年(昭和44年)7月29日 - 第51航空隊が第4航空群隷下から航空集団直轄に編成替え
- 1973年(昭和48年)
- 1974年(昭和49年)2月10日 - 下総教育航空群が新編
- 1981年(昭和56年)10月31日 - 第51航空隊が厚木航空基地に移転
- 1987年(昭和62年)12月1日 - 下総教育航空群隷下に第206教育航空隊が新編されP-3Cが配備
- 1993年(平成5年)9月27日 - 下総航空基地隊隷下に下総救難飛行隊が新編
- 1996年(平成8年) - 教育航空集団司令部新庁舎が完成
- 1998年(平成10年)12月8日 - 下総航空工作所が廃止され、航空補給処下総支処が新編
- 2005年(平成17年)3月28日 - 沼南町の柏市編入に伴い、所在地名が千葉県東葛飾郡沼南町藤ヶ谷から千葉県柏市藤ヶ谷となる
- 2008年(平成20年)3月26日 - 下総救難飛行隊が廃止。UH-60Jは館山航空基地へ移動
- 2011年(平成23年)6月1日 - YS-11 T-Aが全機除籍となり、第205教育航空隊が廃止
- 2022年(令和4年)3月1日 - 海上自衛隊警務隊の改編により、横須賀地方警務隊下総警務分遣隊が廃止[2]
- 2024年(令和6年)4月2日 - 第203教育航空隊にP-1が配備[3][4]
- 2026年(令和8年)3月23日 - 移動通信隊、下総システム通信分遣隊を統合してサイバー防護群隷下の下総サイバー防護隊を新編[5]。
配置部隊
- 教育航空集団司令部
- サイバー防護群
- 下総サイバー防護隊
- 海上自衛隊第3術科学校
- 海上自衛隊航空補給処下総支処
イベント
ギャラリー
- 第203教育航空隊のP-3C
- 格納庫
- 格納庫の内部
- YS-11 T-A
- エプロン上のYS-11 T-A
