下野竜也
From Wikipedia, the free encyclopedia
学生時代
1969年(昭和44年)12月25日、鹿児島県鹿児島市西田町で誕生。鹿児島市立田上小学校の6年生だった1981年(昭和56年)、MBCジュニアオーケストラ[注釈 2]に入団[3]。
1982年(昭和57年)に田上小学校を[4][5]卒業。鹿児島市立武中学校では1年生で生徒会長に就任し、1985年(昭和60年)に卒業[4]。鹿児島県立甲南高等学校では吹奏楽部でトランペットを担当。1986年(昭和61年)、病気になった顧問の先生の代役として鹿児島県吹奏楽コンクール[注釈 3]で吹奏楽部の指揮者を務める[4]。1988年(昭和63年)に甲南高校を卒業[4][5]。
鹿児島大学教育学部音楽科に入学し[4]、大学1年生から鹿児島大学管弦楽団やJ.S.B.吹奏楽団[注釈 4]に所属[4]。鹿児島大学管弦楽団では、堤俊作を始めとする東京から招いたプロの指揮者が指導していたこともあり[4]、プロの技術や存在感に圧倒され強烈な印象を受けたことで指揮者になりたいと明確に意識し、指揮の勉強をする方法を探し始めるきっかけとなり[3]、プロの音楽家や指揮者の指導を受けたり指揮を執る機会にも恵まれる[4]。下野の指揮によるJ.S.B.吹奏楽団では、九州吹奏楽コンクール予選の鹿児島県大会における一般の部で1989年(平成元年)の第34回、1990年(平成2年)の第35回に出場し、大学4年生だった1991年(平成3年)には第39回・全日本吹奏楽コンクールで銀賞となる[4]。1992年(平成4年)に鹿児島大学教育学部音楽科を卒業[5]。
当初は社会科教師になろうと考えていたが、指揮者になることを決意し、桐朋学園大学の音楽学部附属指揮教室で黒岩英臣から指揮を学ぶ[7]。1996年(平成8年)、イタリアのキジアーナ音楽院指揮科でチョン・ミョンフンやユーリ・テミルカーノフから指揮を学び、ディプロマ取得[8]。この時、キリル・ペトレンコも一緒に受講しており、当時から断トツで凄かったと下野は語っている[9]。
デビュー
1997年(平成9年)から1999年(平成11年)まで、朝比奈隆音楽監督時代の大阪フィルハーモニー交響楽団で指揮研究員を務め[1]、秋山和慶に師事し練習を見学したり指揮の指導を受けるうちに様々な繋がりができ[4]、東京で指揮する機会も徐々に増えアマチュアオーケストラやお母さんコーラスなどで指揮をすることも嬉しくて、小さな団体での指揮もしっかり勉強して行った[4]。
1999年(平成10年)4月28日に大阪フィルハーモニー交響楽団の第327回定期演奏会で、朝比奈の前座として定期演奏会デビュー。1999年(平成11年)、文化庁派遣芸術家在外研修員に選ばれ、同年9月より1年間ウィーン国立音楽大学に留学し[1]レオポルト・ハーガーや湯浅勇治から指導を受け、その後も2001年(平成13年)6月まで在籍した。
2000年(平成12年)に第12回・東京国際音楽コンクールの指揮部門で優勝し、齋藤秀雄賞を受賞[1][4]。2001年(平成13年)には小澤征爾が優勝したことでも知られるフランスの第47回・ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝[1][4]。2005年(平成17年)5月、九州初のプロ吹奏楽団である九州管楽合奏団のお披露目公演で指揮を執る。
2008年(平成20年)2月の定期演奏会でNHK交響楽団を、同8月のサイトウ・キネン・フェスティバル松本でサイトウ・キネン・オーケストラを、2010年(平成22年)9月の同フェスティバル、12月のニューヨーク・カーネギーホールでのコンサートでも小澤征爾の代役として一部演目で同オーケストラを指揮するなど、国内の主なオーケストラを多く指揮している[3]。また、イタリアやフランスを中心にヨーロッパでも活動している。
デビューCDである『大栗裕作品集』[10][注釈 5]は、2003年(平成15年)にワールド・リリースされた。2004年(平成16年)9月には、川久保賜紀のヴァイオリン独奏、新日本フィルハーモニー交響楽団との協演でメンデルスゾーンとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のCD[注釈 6]をリリース。2006年(平成18年)7月には、大阪フィルハーモニー交響楽団とのブルックナー交響曲第0番のCD[注釈 6]がリリースされた。
2006年(平成18年)11月、新設された読売日本交響楽団の正指揮者のポストに3年の契約で就任[1]。この就任披露演奏会のライブCD[注釈 7]が、2008年(平成20年)3月エイベックス・クラシックからリリース。正指揮者のポストは2013年(平成25年)3月まで延長されたのち、同4月から2017年(平成29年)3月まで首席客演指揮者を務めた[8]。同オーケストラでは、2007年(平成19年)から2012年(平成24年)にかけて日本国内のオーケストラ・日本人の指揮者としては初となるドヴォルザークの交響曲全曲演奏に取り組んだ[11]。
2007年(平成19年)4月に上野学園大学音楽学部教授[7]に就任、2016年(平成28年)7月まで務めた。
2010年以降
2009年(平成21年)10月にはチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に客演し[1]、そのライブ録音でR・シュトラウスの交響詩『英雄の生涯』が2010年(平成22年)6月にリリースされた[12]。
2011年(平成23年)1月、広島市を拠点に活動する吹奏楽団である広島ウインドオーケストラの音楽監督に就任[8]。
2014年(平成26年)4月から2017年(平成29年)4月まで京都市交響楽団常任客演指揮者、2017(平成29年)年4月から2020年(令和2年)3月まで同楽団の常任首席客演指揮者として活躍した[13]。
2017年(平成29年)4月から2023年(令和5年)3月まで京都市立芸術大学音楽学部教授に就任[13]。
2017年(平成29年)4月から2024年(令和6年)3月まで、広島交響楽団音楽総監督に就任[8]。2019年(平成31年)4月、開設した東京音楽大学吹奏楽アカデミーの特任教授に就任[14]。
2023年(令和5年)10月5日、NHK交響楽団正指揮者に就任[15]。
2024年(令和6年)4月、広島交響楽団桂冠指揮者[16]、札幌交響楽団首席客演指揮者に就任[17][18]。
NHK大河ドラマのテーマ曲は2011年(平成23年)放送『江〜姫たちの戦国〜』、2015年(平成27年)放送『花燃ゆ』、2016年(平成28年)放送『真田丸』、2018年(平成30年)放送『西郷どん』、2019年(平成31年~令和元年)放送『いだてん〜東京オリムピック噺〜』、2022年(令和4年)放送『鎌倉殿の13人』、2025年(令和7年)放送『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』などの収録に際し指揮を務め、『真田丸』では第47話において役者として、豪商である常陸屋藤左衛門役で出演[19]。
東京芸術大学音楽学部指揮科の客員教授でもある。太鼓芸能集団である鼓童のミュージックアドバイザーでもあり、鼓動とは2008年(平成20年)12月に行われたすみだトリフォニーホールでの公演から共演している仲である。
人物
準備段階で楽譜の読み込みと研究を丹念に行い、、作曲家の意図を忠実に表現する手腕は国内外で高く評価されている[3][20][21]。
小学4年生のとき、トランペットを吹いている音楽の先生が授業で見せてくれたトランペットが、キラキラと光る高級なおもちゃみたいでかっこいいと思い、器楽部でトランペットを吹くようになる[3][4]。小学6年生のときに入団した[3]MBCジュニアオーケストラ[注釈 2]に在籍しつつ、たくさんのオーケストラの曲に出会う中で音楽の面白さを認識した下野は、朝から晩までトランペットの練習に没頭[4]。
中学生の時、MBCジュニアオーケストラの練習をいつもの指導者ではなく他の指導者が指揮棒を振ることになり、これまでの練習通りに曲を吹いていた下野は、指揮者の指導者から「その部分は少し音符を長めにトランペットを吹ください」と言われ、いつもの指導者には短く吹くように言われていた下野は指示通り吹くも疑問を抱いたが、同じ曲を別々の指揮者が演奏したレコードを後日聴き比べた下野は、まるで違う曲を演奏しているように聴こえることに驚く[4]。指揮者がその曲をどう作りたいかによって大きく演奏が変わることに気付いた下野は[4]、同じ曲でも指導者によって教え方が異なり指揮者によって演奏が異なることから、指揮者が演奏者に影響を与えることを面白いと思い始めたことで[3]指揮者を初めて意識し[3]、お小遣いをためては指揮者用の楽譜である総譜を買い、自分がこの曲を指揮したらどうなるかと考えるようになる[4]。ただし、野球選手に憧れる友人のように、子供の頃の下野にとって指揮者は憧れのアイドルではあったが、音楽を生業にしようとは思っておらず歴史が好きだったため学校の先生になりたかった[3]。
地元での貢献
2013年(平成25年)7月24日から、鹿児島市ふるさと大使を委嘱される[22]。
2015年(平成28年)7月からは第10代・おじゃんせ霧島大使に任命され、30日の任命式では霧島市長の前田終止から委嘱状と大型の名刺が手渡される[23][24]。
霧島国際音楽祭には2009年(平成21年)から2016年(平成28年)まで毎年参加[3][24]。同音楽祭ではキリシマ祝祭管弦楽団や、2015年(平成27年)8月4日に同音楽祭の提携公演として長崎県のアルカスSASEBOで行われた、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットの木管楽器にホルンを加えた5名での演奏と、約50名のアルカスSASEBOジュニアオーケストラ選抜メンバーを加えた共演など数々の公演を指揮したほか、指揮者マスタークラス[注釈 8]で講師を務める[24]。また、同音楽祭に参加する音楽家が鹿児島県における音楽文化の振興へ寄与する事業の一環として、2010年(平成22年)から若い世代に音楽の楽しさ、素晴らしさを感じてもらい音楽の良さを伝え鹿児島に恩返しをしたいという思いで[25]鹿児島県の各地において小学校、中学校、高校の吹奏楽部を指導[23][24][26][27][28][29]。2016年(平成28年)5月1日には中学生以上を対象として宝山ホールで、全日本吹奏楽コンクール課題曲セミナー・指揮法講習会・楽器クリニックを実施[30]。 教員が普段なかなか人に聞けないことを皆で集まり勉強し、その成果を現場に返すことで生徒も含め幸せになると考え下野が企画した、吹奏楽の指導者のためのワークショップも実施された[3]。
第30回・国民文化祭・かごしま2015では2015年(平成27年)11月4日にみやまコンセールで行われたイベント「国際音楽祭と現代アート」に出演し、吉俣良が作曲した国民文化祭かごしま2015テーマ曲「じゃっど成ること存分に」とNHK大河ドラマ『篤姫』テーマ曲の計2曲を、下野の指揮で鹿児島県立松陽高等学校の音楽科と美術科の1、2年生による吹奏楽部が演奏したほか、吉俣良、ジェスク音楽文化振興会の理事長である斎藤邦彦、鹿児島大学の名誉教授で鹿児島国際大学大学院の客員教授である田中京子と共に、下野はシンポジウムでのパネルディスカッションやトークショーに出演した[31][32]。
鹿児島県立楠隼中学校・高等学校では、2014年(平成26年)11月15日に下野が作曲を担当した校歌が発表され[33]、2015年(平成27年)4月8日には、楠隼高校の開校式を兼ねた入学式において校歌が披露された[34]。