両像・森鷗外
松本清張による評伝
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内容
エピソード
- 本作は短編小説の名目で連載されたが、鷗外がテーマになると長くなったため、独立した著作として出版することになった旨、当時文藝春秋の編集者であった藤井康栄は述べている[1]。
- 本作の原稿上では、最初は「二人の醫官傳」の表題であった。近代文学研究者の平岡敏夫は、著者が当初は『澀江抽齋』と『伊澤蘭軒』の二史伝(医官を対象)を書いた鷗外について書く予定だったか、あるいは鷗外と小池正直(ともに医官)などとの関連のもとに言及する予定だったが、当初の計画をはみ出して筆が進んだのだろうと、本作の成立経緯を推測している[2]。
- 近代文学研究者の田中実は、著者から当時西周関係の資料を貸してほしいと言われたと述べている[3]。
- 鷗外研究者の山崎一穎は、著者の指摘中、鷗外研究者がその後もなお超えられていない視点を例示した上で、鷗外の登志子との離婚や西周との関係が、鷗外の後年の作品(『半日』『伊澤蘭軒』)に反映されているのではないかとする著者の指摘は、それまでの鷗外研究者の間にはなかったと言えると評している[4]。
参考文献
- 著者が鷗外に終生関心を持ち続けた動機・背景に関しては、種々の議論がある。以下はその一例である。
- 『松本清張研究』第1号「特集・松本清張と森鷗外」(1996年、砂書房)
- 『松本清張研究』創刊号「特集・清張と鷗外」(2000年、北九州市立松本清張記念館編集・発行)
- 鷗外をモチーフにした著者の他の作品として、小説『或る「小倉日記」伝』『鷗外の婢』『削除の復元』など、他にエッセイ・対談等でも鷗外への言及がある。特に『過ぎゆく日暦』では、本作と部分的に共通する話題を扱っている。
