平岡敏夫
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香川県仲多度郡広島村(現丸亀市)生まれ。1945年大津陸軍少年飛行兵学校卒、1954年香川大学学芸学部国語科卒、愛媛県川之江市立金生中学校教諭、1956年東京教育大学大学院入学、吉田精一に師事、1962年同博士課程単位取得満期退学。東京都立一橋高等学校教諭、1966年大東文化大学専任講師、1967年東海大学助教授、1968年横浜国立大学教育学部助教授、1975年教授、1976年筑波大学文芸言語学系教授、1982年「北村透谷研究」で筑波大学文学博士。1988-1992年筑波大文芸言語系研究科長、1992年定年退官して群馬県立女子大学学長を1998年まで務める。
北村透谷や夏目漱石を研究対象とする。『坊っちゃん』論では佐幕派が敗れる物語を読み込んだ。主著は『日露戦後文学の研究』。2006年、小林信彦の『うらなり』に対する怒りを詩集『明治』で表明。同年、瑞宝中綬章受章[2][3]。
多数の著作物のみならず、各種文献へ寄せた「解説」文の類にも洞見がうかがえる。たとえば、小宮豊隆『夏目漱石』(岩波文庫、上中下3巻、1986-87)の解説で、平岡は本書を丁寧に読み返して、誤解・誤読されている部分を的確に指摘し、「小宮再評価」の動きへ多くの示唆を与えている。