中山富三郎 (初代)

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東洲斎写楽「初代中山富三郎の宮城野」
東洲斎写楽「初代中山富三郎のさざなみ辰五郎女房おひさ」

初代中山 富三郎(なかやま とみさぶろう、宝暦10年(1760年) - 文政2年9月10日1819年10月28日))は、江戸時代後期の著名な歌舞伎役者で、主に立女方として活躍した人物である。前名は松兵衛、俳名は錦車、屋号は近江屋。あだ名はぐにゃ富として広く知られた。東洲斎写楽の大首絵「初代中山富三郎のさざなみ辰五郎女房おひで」に描かれたことでも名高い。子に二代目中山富三郎

中山富三郎は、宝暦10年(1760年)、敵役として知られる市川幾蔵の子として生まれた。初代中山文七の門弟から芸道をはじめ、のちに四代目松本幸四郎に入門した。安永5年(1776年)には大坂・嵐七三郎座で若女房として初舞台に立ち、安永7年(1778年)には若女方へと進んでいる[1] [2]

安永9年(1780年)11月、父・市川幾蔵とともに江戸へ下り、市村座に出演。次第に人気を得て、寛政2年(1790年)には市村座で立女方に抜擢され、江戸と上方の双方で名声を確立した[2]

富三郎は、時代物よりも世話物を得意とし、特に傾城役や世話女房役の妙技で高く評価された。文化年間には名声が頂点に達し、文化9年(1812年)には白功上上吉の位に進んでいるとされる[2]

その柔らかな身のこなしから、富三郎はぐにゃ富と呼ばれたが、あだ名の由来については、その容貌が「ぐにゃついていた」からともいわれている[3][4]

また、浮世絵の世界でもその姿は広く知られた。東洲斎写楽が寛政年間に発表した「初代中山富三郎のさざなみ辰五郎女房おひで」は、写楽の役者絵を代表する傑作の一つとされ、おひで(のちに安倍宗任の妹・てりはと判明)の役を演じる富三郎の演技が大胆かつ精緻に描写されている。

文政2年(1819年)9月10日、富三郎は死去した。享年60。江戸後期の女形を代表する俳優として、また写楽の作品によって不朽の存在として位置づけられている[2]

登場作品

脚注

参考文献

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