中山雅行
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | 埼玉県 |
| 生年月日 | 1969年9月3日(56歳) |
| 身長 体重 |
184 cm 81 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1993年 ドラフト4位 |
| 初出場 | 1994年7月26日 |
| 最終出場 | 1994年10月6日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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埼玉栄東高から中央大へ進み、2部リーグ19勝、1部で1勝[1]。2年秋からは2部リーグとなり、3年春から3季連続で入替戦に臨むも敗れる。4年春は2部最優秀投手。4年次にはドラフト候補とされたが熊谷組に進む。1992年都市対抗野球にて決勝進出、杉浦正則擁する日本生命に破れたものの、エースとしてチームを牽引した功績を評され若獅子賞を獲得する。全日本選抜メンバーにも選出され、直球とキレのあるフォークを武器にキューバ戦ではオマール・リナレス、オレステス・キンデランらを手玉にとった。翌年、チームの休部が決まっていた最後の都市対抗野球では補強の藪恵一との2本柱で臨み、初戦から2回戦と連続して先発勝利するも準々決勝では救援登板してサヨナラ負け[2]。
1993年ドラフト4位でロッテ入団。即戦力として期待され初年度に1軍デビューを果たすも、プロでは通用せず1軍登板はこの年のみに終わる。
1996年11月、戦力外通告を受け渡米、シアトル・マリナーズとマイナー契約を結ぶも登板なし。
その後、アメリカ独立リーグであるウェスタン・ベースボール・リーグのグレイズハーバー・ガルズとプレーリー・リーグのサスカトゥーン・スモーキンガンズでプレーした。