大塚明

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1975-04-28) 1975年4月28日(50歳)
身長
体重
184 cm
83 kg
大塚 明
アサヒトラスト女子硬式野球部 監督
ロッテ一軍外野守備・走塁コーチ時代
2012年、千葉マリンスタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県別府市
生年月日 (1975-04-28) 1975年4月28日(50歳)
身長
体重
184 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1993年 ドラフト3位
初出場 1997年6月24日
最終出場 2009年6月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

大塚 明(おおつか あきら、1975年4月28日 - )は、大分県別府市出身の元プロ野球選手外野手)・コーチ監督

1994年にプロ入り後、選手およびコーチとして30年以上にわたり千葉ロッテマリーンズのユニフォームに袖を通した[1]

プロ入り前

別府羽室台高校から1993年のドラフト会議千葉ロッテマリーンズに3位で指名され、内野手として入団(高校時代は投手)。背番号は65

ロッテ時代

1994年(1年目)には遊撃手として二軍で34個のエラーを記録。当時は逃げ出したい一心だったという[2]

1997年、34盗塁を記録しイースタン・リーグ盗塁王を獲得。外野手に転向して一軍初出場を果たす。

1999年に背番号を23に変更し、低打率ながらしばらく3番打者を任されるなど素材としては期待されていたが、同期や後輩が揃って高畠導宏打撃コーチの指導の下開眼していく中、取り残された。また、右肩痛や2003年の左膝蓋部靭帯断裂など毎年のように故障にも苦しんだ。

2005年は、スタメン代走守備固めなどで出場試合数は96に増加。外野手部門の守備率ではリーグトップの成績(守備率10割)を残し、チームのリーグ制覇に貢献した。

2006年は、開幕から不振に陥り109試合の出場で打率.242、10打点に留まった。9月23日の対北海道日本ハムファイターズ戦では、キャリア初のサヨナラヒットを放った。

2007年は、度重なる故障と守備の良い早川大輔がレギュラーに定着したこともあり、主に守備固めで49試合出場、打率.152に終わった。

2008年は、7月25日の対福岡ソフトバンクホークス戦で6回裏途中から初めて一塁手の守備についた。サブローの負傷や早川大輔の不調などもあり、103試合に出場。3年ぶりの本塁打も放った(うち1本はランニング本塁打)。この年に国内FA権を取得したが、行使せず12月16日に翌年の契約を結び残留した。

2010年11月21日 千葉マリンスタジアムにて。引退セレモニーで福浦から花束を渡される大塚。

2010年2月、左膝半月板の内視鏡使用・一部切除手術を受けた[3]。8月19日に、球団から2010年シーズン限りで引退し、残りシーズンはコーチ補佐として二軍で指導を行うことと、2011年シーズンから正式にコーチに就任することが発表された[4][5]。10月2日のファーム日本選手権では一塁ベースコーチを担当した。10月8日、任意引退選手公示された。11月21日の優勝報告会で大塚の引退セレモニーが行われ、同期である諸積兼司福浦和也小野晋吾、家族から花束が送られた。セレモニーの最後には、グラウンドにいた大勢のファンから胴上げされるというサプライズがあった。

引退後

11月21日、2011年より、退団する代田建紀に代わって二軍外野守備・走塁コーチに就任することが正式に発表された[6]。背番号は80

2012年シーズンは一軍外野守備・走塁コーチを務めた[7]

2013年シーズンより再び二軍外野守備・走塁コーチに配置転換された[8]

2018年からは再び一軍外野守備・走塁コーチを務める。

2022年からは、一軍外野守備兼走塁コーチに役職名を変えた[9]

2025年からはチーフ打撃コーチ兼走塁コーチに配置転換された[10]。同年はチーム打率がリーグ5位の.241に低迷。この年限りでの退団を申し入れ、10月17日までに受理された[1]

2026年からアサヒトラスト女子硬式野球部の監督に就任した[11]。その傍ら日テレNEWS24野球解説者としても並行に活動する。

選手としての特徴

現役時代

あらかじめクロス気味に構えるフォームで右打ちの上手さに定評があり、甘いボールをスタンドまで運ぶパンチ力も持ち合わせている[12]

外野守備は勘が鋭く[13]、安定感がある[14]。一方で、守備範囲や肩の強さにも定評があった[15]。後年は故障の影響で肩が弱かったが、捕球から送球までの速さを高めることでカバーした[16]

人物

2012年7月8日、千葉マリンスタジアム(QVCマリンフィールド)にて

公式ページには、のことを語る専用ページがあるなど競馬好きで知られる。

手術後、野球において必要とされる最低限の筋力を維持するため、年に数回アナボリックステロイド剤の間接注射を右肩に打っている。日本球界において医療目的のステロイド剤注射が許可されている数少ない事例である[注 1]

2003年までのヒッティングマーチは原曲や歌詞が存在せず[注 2]、2004年のヒッティングマーチは大塚愛の『さくらんぼ』(こちらも歌詞なし)だった。2005年以降は、応援歌に併用される形で元来存在した大塚FC(現・徳島ヴォルティス)のチャントに『GO!GO!オオツカアキラ』のコールを交えたヒットコール(通称・大塚明体操)が主流となり、大塚の個人ヒッティングマーチは自然消滅した。

打席登場曲にはCHARCOAL FILTERの『Brand-New Myself 〜僕にできること』を使用しており、引退セレモニーの際も記念映像のBGMとして使用されていた。

2007年シーズン終了後に漫画を制作することを発表した。2005年から大塚自身が書き溜めていたものが採用されたもので、これはプロ野球現役選手初の試みであった。

2008年7月5日、ホーム(千葉マリンスタジアム)でビジターの黒ユニフォームを着用してプレイするという「ビジターナイトデイ」が行われた[17]が、この時に一人だけ通常のホームユニフォームを着用していた。ウグイス嬢・谷保恵美の場内アナウンスで初めて気づくというハプニングがあった[注 3][18]。のちに、このアナウンスの首謀者は西岡剛であり、西岡から谷保に「合図を送ったらアナウンスして。」と依頼されてのアナウンスであったと谷保により語られている[19]

2008年7月25日の対ソフトバンク戦では、6回裏の守備から一塁手として出場した[20]内野手としての出場はこれが最初で最後となった。このことについて大塚は、当時のブログで「一度でいいから内野手として一軍の試合に出たいと…実は思っていた。そんな厚かましい夢がこんな形で叶うとは夢にも思わなかった」と述べている[21]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1997 ロッテ 2862537101121982121402110.189.267.358.625
1998 5220100010100000010.500.500.5001.000
1999 10724621829488326821661221004504.220.265.312.577
2000 742772554161171910744144611302423.239.280.420.700
2001 7223721620541237931632131512416.250.272.431.703
2002 4389866165112662010200191.186.205.302.507
2003 13383645110810001100101.139.158.222.380
2004 329081142260337132120700161.272.330.457.786
2005 96256225446619281133275811725584.293.355.502.857
2006 10919718222441200561054011102427.242.291.308.599
2007 4956468700071413160092.152.245.152.397
2008 10315913919371403602074611300274.266.327.432.758
2009 6220000000000000000.000.000.000.000
通算:13年 73717111541214371951235595172532853108931732633.241.288.386.674

年度別守備成績



外野












1997 ロッテ 2539010.975
1998 320001.000
1999 103125210.992
2000 67100330.972
2001 68105110.991
2002 4039210.976
2003 1317010.944
2004 3241110.977
2005 931442021.000
2006 98106321.982
2007 4642111.977
2008 97111010.991
2009 40000.---
通算 68987115134.986
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

初記録

背番号

  • 65(1994年 - 1998年)
  • 23(1999年 - 2010年)
  • 80(2011年 - 2025年)

登場曲

脚注

関連項目

外部リンク

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