中山高陽
1717-1780, 江戸時代中期の南画家、書家、漢詩人
From Wikipedia, the free encyclopedia
生涯
高陽は幼い頃より聡明で、儒学と漢詩を藩儒 富永惟安に、書を細井広沢門人の関鳳岡に学ぶ。画は南画の先駆者 彭城百川に師事する。
はじめ土佐で画塾を構え盛況であったが、宝暦8年(1758年)に江戸に出て開塾。この頃土佐藩の御用絵師となる。宝暦11年(1761年)には土佐藩より三人扶持を給せられ名字帯刀を許される。
詩・書・画(特に肖像画、花鳥画)に優れ、また俳諧も嗜んだ。著名な文人墨客と盛んに交流し、特に交友の深かった井上金峨の賛、沢田東江の書、高陽の画を合わせて「三絶」と評されるほど江戸庶民の人気を得た。木村蒹葭堂や浦上玉堂などとも関係があった。多くの著作があり、広く読まれた。
明和9年(1772年)3月、火事で住居を失ったがこれをきっかけに、約半年をかけて奥州に旅立つ。仙台・松島・平泉・山寺・象潟・酒田などを巡り、その記録を『奥游日録』に著す。このとき旅先の各地で書画や詩文を教え、多くの作品を残している。 安永5年(1776年)には熱海を旅し、その地方の風俗などを克明に記した『熱海紀行』を著す。
安永9年(1780年)、土佐に帰る途中、大坂発の船中で客死。享年64。精神病の発作が原因かと推定される。
高陽は潤筆料規定書を作成し、画業で生計を立てられることを後進に伝えた。また彼が江戸に南画を伝えた功績は大きく、門弟を通じてやがて谷文晁が江戸南画を確立することになる。
著書
代表作
門弟
- 岩川西台
- 渡辺玄対

