中島 (大阪市)
From Wikipedia, the free encyclopedia
河川
歴史
中島は南北朝時代より見られる地名だが、元は三国川(現:神崎川)と淀川(現:旧淀川)に挟まれた地域、淀川水系の下流域に形成された中州(川中島)を指した広域地名で、現在の西淀川区・淀川区・東淀川区・北区・福島区などが該当する。
当地も広域地名の中島に含まれてはいるが、江戸時代の新田開発によって成立した経緯があり、中島市兵衛という開発者に由来する町名である。なお、中島新田が成立する以前は、城島・親島・弥左衛門島などと呼ばれていた。
1934年(昭和9年)の室戸台風襲来では、現在の2丁目北西部にあった外島保養院が全壊流失し、196名が犠牲になる惨事となった。保養院はその後岡山県へ新築移転され、現在の国立療養所邑久光明園となっている。
1950年(昭和25年)のジェーン台風襲来では、現在の2丁目が海没した。その後長らく放置されていたが、1963年(昭和38年)から1967年(昭和42年)にかけて再陸地化され、工業団地として利用されるようになった。
沿革
- 1688年(元禄元年) 京の丁子屋中島市兵衛が城島・親島・弥左衛門島の地で新田開発を行い、西成郡中島新田が成立。
- 1853年(嘉永6年) 大坂の布屋甚九郎が中島新田の海側の寄洲で新田開発を行い、西成郡布屋新田が成立。
- 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、西成郡川北村大字中島新田・布屋新田となる。
- 1908年(明治41年) 公立癩療養所用地として、大字布屋新田の一部が買収され、療養所のみを範囲とする新大字・外島を起立。
- 1910年(明治43年) 「新田」の称を廃し、大字中島・布屋に改称。
- 1925年(大正14年)4月1日 大阪市へ編入され、西淀川区中島町・布屋町・外島町となる。
- 1972年(昭和47年) 西淀川区中島町・布屋町・外島町を改編して、中島1 - 2丁目の現行行政地名となる。
世帯数と人口
2019年(平成31年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
| 丁目 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 中島一丁目・二丁目 | 2,260世帯 | 4,862人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 1995年(平成7年) | 4,198人 | [6] | |
| 2000年(平成12年) | 3,812人 | [7] | |
| 2005年(平成17年) | 3,802人 | [8] | |
| 2010年(平成22年) | 4,307人 | [9] | |
| 2015年(平成27年) | 4,378人 | [10] |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 1995年(平成7年) | 1,489世帯 | [6] | |
| 2000年(平成12年) | 1,435世帯 | [7] | |
| 2005年(平成17年) | 1,515世帯 | [8] | |
| 2010年(平成22年) | 1,775世帯 | [9] | |
| 2015年(平成27年) | 1,752世帯 | [10] |