中島浩司 (サッカー選手)

From Wikipedia, the free encyclopedia

愛称 コージ、ナカジ、国王
カタカナ ナカジマ コウジ
ラテン文字 NAKAJIMA Koji
国籍 日本の旗 日本
中島 浩司
名前
愛称 コージ、ナカジ、国王
カタカナ ナカジマ コウジ
ラテン文字 NAKAJIMA Koji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1977-08-20) 1977年8月20日(48歳)
出身地 大阪府堺市南区赤坂台
身長 182cm[1]
体重 68kg[1]
選手情報
ポジション MF[1]
利き足 右足
ユース
日本の旗 赤坂台JSC(赤坂台小
1990-1992 日本の旗 堺市立赤坂台中学校
1993-1995 日本の旗 仙台育英高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-2002 日本の旗 ベガルタ仙台[注 1] 83 (4)
2003-2008 日本の旗 ジェフユナイテッド千葉[注 2] 96 (2)
2009-2013 日本の旗 サンフレッチェ広島 99 (5)
通算 278 (11)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年1月22日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

中島 浩司(なかじま こうじ、1977年8月20日 - )は、日本の実業家、元サッカー選手大阪府堺市南区赤坂台出身。仙台育英学園高等学校卒業

株式会社ベアフット 執行役員スポーツ事業アドバイザー。

現在はDAZNのレノファ山口FCの解説も担当している。

実兄の影響で小学5年生から地元赤坂台JSCでサッカーを始め、赤坂台中学時代は一学年下の岡山一成らとプレーした[2]。高校時代は仙台育英高校へ越境入学、高校3年時に東北代表として高円宮杯出場[3]

1996年、当時JFLのブランメル仙台(現ベガルタ仙台)に入団[1][4]。同期に千葉直樹などがいる。チームは1999年から始まったJ2に加盟、中島は背番号10番を背負った時期もあったが、その後出場機会が激減。2002年限りで戦力外通告を受けた[2][3]

Jリーグ合同トライアウトを経て[3]、2003年からジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)へ完全移籍した[1][4]イビチャ・オシム監督に評価され[2]、本職はボランチの他リベロなどユーティリティープレイヤーとして起用され[5]、中盤やイリアン・ストヤノフのバックアッパーとして多くの出場機会を得た。2005年および2006年のナビスコカップ連覇に貢献する[4]。2008年途中にアレックス・ミラーが新監督に就任すると出場機会が激減、同年オフに戦力外通告を受ける[2][3]

リベロおよび中盤ができる器用さを評価され、2009年よりサンフレッチェ広島へ完全移籍[4][5]。再びチームメイトとなったストヤノフのブルガリア代表招集による欠場と怪我および森崎和幸の長期離脱に伴いレギュラーに定着、チームに負傷者が続出する中でチームを支え続けた中島をミハイロ・ペトロヴィッチ監督は「ゴールドマン」と評した[6]。2010年にはキャリア最多となるリーグ30試合出場、翌2010年AFCチャンピオンズリーグ2010も含めた過密日程の中でも試合出場を重ね、チームを支えた[2][7]森保一監督以降は貴重なバックアッパーとして20122013年のJリーグ連覇に貢献、2013年限りで現役を引退[1]。連覇を決めた最終節の鹿島アントラーズ戦では後半48分に途中出場し、引退に華を添えた[4]

2014年、イベントプランナーの奥大地と共に、広島にてスポーツ関連のイベントプロデュースを手がける(株)ベアフットを設立し代表に就任[8]。現役時代からの東北人魂を持つJ選手の会での活動も続ける他、自身も広島を拠点にサッカー解説などの仕事をこなしている。2023年12月より株式会社ベアフット代表を退任し、執行役員スポーツ事業アドバイザー就任。

エピソード

  • 仙台育英高校サッカー部の同級生には、吉本興業所属のお笑いトリオ・パンサー尾形貴弘がいた。中島の現役引退発表に際し、尾形はTwitter(現X)上で「高校からすげーいい選手で悔しくてコウジには練習でバチーンと激しくディフェンスしてたの思い出す!! すげーよな!この年まで現役で!! お疲れ様だ!! かっこいいな!コウジ!!!」とコメントを寄せた[9]
  • サンフレッチェ広島入団時に一桁の背番号を提示されたが、「DFの印象が強い」という理由から断っている[10]。加えて、一桁へのこだわりもなかったことから、二桁の35を選択した[10]

人物

家族

長男の永弥は、サンフレッチェ広島ユース広島皆実高等学校を経て、ポーランドサッカーリーグ1部(エクストラクラサGKSピアスト・グリヴィツェの練習に参加、高評価を受け同チームとプロ契約を締結した[11]。セカンドチームからのスタート[12]

次男の洋太朗は、サンフレッチェ広島ユースに所属、U-16日本代表、U-17日本代表に選出。2023年9月にサンフレッチェ広島トップチームとプロ契約を締結した。父・浩司と同じ背番号35を背負う[13]

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1996B仙台27旧JFL00-0000
19971710010181
1998102114041292
1999仙台J22622121304
200081901000200
200100000000
200215J100000000
2003市原30313091
20041605010220
2005千葉1115120182
20062614010311
20072702010300
20081303110171
2009広島353006120381
20103224020382
20113321020362
201221500071
201320000020
通算日本J1 195738415024811
日本J2 4523121504
日本旧JFL 3824051473
総通算 2781145522234518
国際大会個人成績 FIFA
年度クラブ背番号出場得点出場得点
AFCACLクラブW杯
2010広島3560-
2012-00
201340-
通算AFC 10000

その他の国際公式戦

タイトル

クラブ

ジェフユナイテッド市原・千葉
サンフレッチェ広島

脚注

出典

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI