中川乙由
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14歳の頃、伊勢神宮に参詣した松尾芭蕉と接し、涼菟(神風館三世)に師事する[1]。やがて、伊勢に結庵した各務支考に兄事し、蕉門俳人として地位を確立する[1]。元禄11年(1698年)、涼菟・支考らとの七吟百韻一巻を収めた『伊勢新百韻』を井筒屋章兵衛から刊行する[1]。元禄16年(1703年)、涼菟の加賀越前方面への旅行に随行し、旅中の作品集である『山中集』に名を連ねる[1]。宝永元年(1704年)、各務支考が編集した『三疋猿』に「かの新百韻の役者を催して、こゝに三日三夜の舞曲ぞつくしける」とあり、涼菟・支考・乙由のグループが形成され、乙由が重要な位置を占めていたと分かる[1]。享保2年(1717年)、涼菟が没すると、伊勢俳壇の中心人物となり、その勢力は伊勢派と呼ばれるまでに成長した[1]。