中村妙子

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中村 妙子(なかむら たえこ、1923年大正12年〉2月21日[1] - 2024年令和6年〉6月26日[2])は、日本翻訳家東京府(現・東京都)出身。

C.S.ルイスの著作など、英文学を中心とした訳書がある[注釈 1]

1923年、東京府荏原郡大森町(現・東京都大田区大森)に生まれる。父は牧師佐波亘[注釈 2]。母方の祖父は植村正久。1935年に恵泉女学園入学。1940年に津田英学塾に入学(1943年に津田塾専門学校へ改称)。同校を卒業後、情報局第三部(対外情報課)の戦時資料室へ勤務、海外資料の翻訳にあたる。

1945年、蒲田東京大空襲に遭う。敗戦後に連合国軍総司令部(GHQ / SCAP)の民間情報教育局(CIE)へ勤める。

1947年、ヨハンナ・スピリの小説を訳した「マクサの子どもたち」が『少女の友』(実業之日本社)に連載される。編集部で応接したのは岸なみであった。

同年5月に最後の英語科高等教員検定試験に受験し合格、10月に英国議会史研究者の中村英勝と結婚する。1950年、第二子を妊娠中に東京大学文學部を受験、西洋史学科に入学する。在学中に肺結核となるが1954年に卒業する。卒業後は中野好夫の指導の下で翻訳活動を本格的に始める。津田塾大学で週1回翻訳論を教えた。1974年、『日本児童文学』誌上で行われた「本誌200号記念 評論・研究の部」にて投稿評論「C・S・ルイスにおける想像的人間(イマジナテイブ・マン)について」が特別佳作となる[3]。1985年、三省堂現代文教科書にジョゼフ・P.ラッシュ英語版の『愛と光への旅』が収録された。雑誌「ダ・ヴィンチ」2006年1月号のC・S・ルイスの伝記に関する記事で、インタビューに答えている。2024年6月26日没、墓所は東京都世田谷区豪徳寺

評伝に、津田塾卒業生40名を描いた『津田梅子の娘たち――ひと粒の種子から』(川本静子,亀田帛子,高桑美子著、ドメス出版、2001年)がある。『陛下をお救いなさいまし――河井道ボナー・フェラーズ』(岡本嗣郎著、集英社、2002年)にも恵泉の生徒の一人として登場する。

著書

翻訳

脚注

外部リンク

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