三養基高では高校通算32本塁打を記録。1986年春季九州大会県予選では準決勝に進むが鳥栖高に敗退。長打力が注目され、同年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズに2位指名を受け入団。
1987年にアメリカ1A・サンノゼ・ ビーズに野球留学した。
1992年には二軍で24本塁打を記録。10月2日には一軍に上がり、千葉ロッテマリーンズを相手に指名打者として初先発するが2三振、1四球に終わった。
1993年の開幕直前、清水義之との交換トレードで森山良二と共に横浜ベイスターズに移籍した。代打、一塁手として起用されるが実績を残せず。
1995年限りで現役を引退した。
その後、横浜の瀬ヶ崎フレンズ(小学生ソフトボールチーム)の監督をしている。