中田幸吉
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| 中田幸吉 なかだ こうきち | |
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| 生年月日 | 1915年12月7日 |
| 出生地 |
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| 没年月日 | 1980年9月18日(64歳没) |
| 死没地 |
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| 出身校 | 東京帝国大学農学部林学科卒業 |
| 前職 | 国家公務員 |
| 所属政党 | 自由民主党 |
| 称号 |
正四位 勲二等瑞宝章 |
| 親族 | 養祖父・14代中田清兵衛(貴族院議員) |
| 当選回数 | 3回 |
| 在任期間 | 1969年12月27日 - 1980年9月18日 |
中田 幸吉(なかだ こうきち、1915年〈大正4年〉12月7日[1][2] - 1980年〈昭和55年〉9月18日[2][3])は、日本の農林技官、政治家。富山県知事(3期)。位階は正四位[2]。勲二等瑞宝章綬章[2]。
富山県富山市出身。薬種商・15代中田清兵衛[4]の五男[5][注 1]として生まれる。富山高等学校を経て、1940年(昭和15年)、東京帝国大学農学部林学科を卒業[2]。農林省に入り山林局に勤務[3]。
1952年(昭和27年)、沼田営林署長に就任。長野県林産課長、同林業課長、同林務部長を歴任。1963年(昭和38年)、林野庁林道課長となる。1966年(昭和41年)、富山県に派遣され農地林務部長を務める[3]。
1969年(昭和44年)12月、吉田実の衆院選出馬による辞職に伴い行われた県知事選に自民党の公認を受けて富山県知事選に出馬。吉田の下で副知事を務め吉田も応援した小林謙や社会党県議だった改井秀雄・共産党公認の平田貢との激しい選挙戦を制して初当選を果たした(同年12月27日[6])。「愛と繁栄の県政」を掲げ、公害対策、産業振興に尽力した。連続3期務めた(1973年〔昭和48年〕12月2日に2選[7]、1977年〔昭和53年〕11月27日に3選[8])。
1979年(昭和54年)5月に国立がんセンターに入院し、腹壁筋腫の手術をされ、同年7月に退院。以来月に1回程度検査、治療を続けながら県政執行していたが、1980年(昭和55年)6月16日の記者会見では健康回復を宣言していた[9]。しかし、同年9月17日深夜に容体が急変し、翌9月18日3時35分、肋膜炎による急性呼吸不全のため国立がんセンターで死去した[2][10]。年65[3][11]。同日、正四位に叙せられ勲二等瑞宝章授与。同年9月28日には祭染料を下賜された[12]。
中田家としての葬儀は同年9月19日に東京都杉並区上井草の自宅で営まれ、約1,000人が参列した[9]。同年9月28日には富山県民会館にて富山県葬儀および告別式が執り行われた[13]。