徳久恒範
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佐賀藩士・徳久恒忠の長男として生まれる。明治4年(1871年)、佐賀藩少参事に就任。その後、明治政府に出仕し、兵部七等出仕に就任し、さらに陸軍少佐となる。1879年、熊本県一等警部に就任。以後、同警部長、石川県・栃木県・兵庫県の各書記官などを歴任。
1892年8月、富山県知事に就任。産業振興、実業学校の設置などを推進した。1896年4月、香川県知事に転じ、工芸学校の設置、稲作の改良などを推進。1898年7月、熊本県知事となる。1903年6月、広島県知事に就任し、1904年1月まで在任し休職となった。
1904年8月22日、貴族院勅選議員に任じられ[1]、死去するまで在任した。1905年11月1日、錦鶏間祗候となる[2]。
