中田榮一
日本の地理学者、歴史学者
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人物・経歴
富山県出身。富山高等学校 (旧制)に入学し、石井逸太郎に学ぶ[3]。1938年に京都帝国大学文学部史学科に入学[4]し、地理学を専攻し高山岩男に師事して、歴史地理学への関心を高めた[5]。1941年3月に卒業[6]。
大学卒業後、国民精神文化研究所の助手となる[5]。2年ほど勤務した後、第二次大戦前に立教大学予科に務めると、予科教授となり、後に立教大学文学部助教授を経て、同教授を務めた[3][5]。同学部では史学科で地理学を担当し、地理学講座の創設と育成に尽力し[3]、昭和30年代の初期に立教大学文学部史学科に地理学講座(現・史学科超域文化学専修)を設置するに至る[5]。
菊地利夫と交流し、1958年(昭和33年)4月に日本歴史地理研究会(現・歴史地理学会)が発足した際には、立教大学の中田の研究室が研究会の事務所となった。研究会の有力な支援者には内田寛一、古田良一、三友国五郎らがいた[5]。
1954年4月に、別技篤彦を立教大学文学部史学科教授に招いた[7][8]。1958年(昭和33年)に立教大学アジア地域総合研究施設が発足し、現在に続く立教大学アジア地域研究所の礎となっている[7]。
立教大学を定年退職後、帝京大学の教授を務め1998年に同大学を定年退職[2][3]。そのほか、日本大学など複数の大学で非常勤講師を務め、多くの学生を育てた[3]。