中野会

大阪市天王寺区に本拠を置いて2005年まで活動した暴力団 From Wikipedia, the free encyclopedia

中野会(なかのかい)は、日本大阪市天王寺区に本拠を置いて2005年まで活動した暴力団。かつては神戸市に本部を置き、四代目山口組の三次団体から五代目山口組の二次団体となったが、1997年絶縁処分を受け独立。やがて暴力団対策法に基づく指定暴力団となるも、2005年に解散。

設立者中野太郎
首領中野太郎
活動期間- 2005年
概要 設立者, 本部 ...
中野会
設立者中野太郎
本部日本の旗 日本大阪市天王寺区
首領中野太郎
活動期間- 2005年
上部団体 山口組( - 1997年9月)
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歴史

1969年6月、中野太郎は山本健一組長と親子盃を結び、初代山健組組員となる。

初代山健組健竜会相談役となる。

1978年、中野太郎会長は健竜会から20人あまりの若い衆を引き連れて中野会を結成した。

渡辺芳則が山健組二代目を襲名すると、二代目山健組舎弟頭に直った。

1989年の山口組五代目体制の発足後、山健組から五代目山口組直参に昇格した。

1990年7月、若頭補佐に就任した。

1996年7月、中野太郎会長は行きつけの強化ガラスへと替えていた理髪店会津小鉄系組員に銃撃される事件「中野会会長襲撃事件」が起きた。当時、山口組若頭であった宅見勝宅見組組長)の仲介で手打ちが行われた。

1997年8月28日、神戸市中央区新神戸オリエンタルホテル4階ティーラウンジ「パサージュ」で、宅見若頭を襲撃し銃撃する「宅見若頭射殺事件」が発生(搬送先の病院で1時間後に死亡)。その際に一般人に流れ弾が当たり、6日後に死亡したことから、本家の山口組から同年9月に絶縁されるが、これを不服とし、解散せずに独立した。事件発生から1か月で中野会関係者を狙って21件の襲撃事件が発生したという[1]

宅見組などによる暗殺部隊により、1999年9月に中野会ナンバー3の若頭・山下重夫が麻雀店で、2002年4月には中野会ナンバー2の副会長・弘田憲二が沖縄でオートバイに乗ったヒットマンとカーチェイスの末に、射殺された。

2003年1月、中野太郎会長は脳梗塞で緊急搬送され、以後、リハビリ生活を続けていた[1]

2005年7月、渡辺芳則五代目が病気療養を理由に引退を表明。同年8月7日、中野太郎会長は、解散届を大阪府警に提出し、引退した[1]

その後、中野太郎は大分県で療養していたが、肺炎で体調を崩して2021年1月10日未明に入院先の病院で死去した。84歳没[1]

最高幹部

所属直系団体

  • 弘田組
  • 至龍会
  • 三笠組
  • 加藤総業
  • 徳心会

主な出身者

  • 会長代行・井奥文夫井奥会会長) - 後に六代目山口組若中→絶縁

関連書籍

  • 中野太郎 (著),宮崎学 (監修)『悲憤』2018年12月12日 講談社
  • 山平重樹『最強武闘派と呼ばれた極道 元五代目山口組若頭補佐 中野会会長 中野太郎』2018年12月14日 かや書房
    • 山平重樹『最強武闘派と呼ばれた極道 元五代目山口組若頭補佐 中野会会長 中野太郎』増補版 2019年12月10日 かや書房新書

出典

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