丸山侯彦
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1983年11月12日の高崎第1競走・カネエイコウ(2着)で初騎乗を果たし、同16日の第6競走で初勝利を挙げる[4]。デビュー以来、北関東のトップジョッキーとして活躍し、2005年に引退するまで地方通算1817勝を挙げた。
1998年からはタマルファイターとのコンビで中央でも活躍し、1999年6月20日の福島第11競走吾妻小富士オープンでは最内を利してアンブラスモアを叩く大逃げを打ち、単勝120倍の大波乱で中央初勝利を挙げる[5]。2000年には重賞昇格前のオーシャンステークスで12番人気ながら2着[6]、サマースプリントステークスではメジロダーリングとクビ差3着[7]、2001年のNSTオープンでは10番人気ながらヒシピナクル・ユキノサンロイヤルを抑えて3着[8]に入る。2002年のオーシャンステークスではディヴァインライト・ネイティヴハート・ダイワルージュ・トキオパーフェクトを抑えてショウナンカンプの3着[9]に入った。
2001年にはモガアルテスコでスプリングカップを制し、4月21日の福島第9競走ゆきつばき賞では15頭中12番人気ながらメンバー中最速35秒7の脚を使って2着に入った[10]。
2002年6月23日の福島第9競走栗子特別では南田美知雄厩舎のカッツミーで勝利し[11]、3年ぶりの中央勝利は初の中央馬での勝利となった[12]。カッツミーは次走のラジオたんぱ賞を勝利するが、ラジオたんぱ賞には乗れなかった丸山は「僕の代わりに」と宇都宮のトップジョッキー内田利雄を南田に紹介し、内田には「直線で間に合わないと思っても間に合うから」とアドバイス[13]。レースでは4コーナーで14番手まで位置を落とすが、内田の脳裏に丸山のアドバイスがよぎり、直線で13頭を飲み込んで勝ち切った[13]。
2003年12月6日の中山第10競走葉牡丹賞では8番人気のドラゴンキャプテンで3着、続く同20日の中山第10競走ひいらぎ賞では7番人気で5着に入った[14]。明けて2004年には青峰賞を大差で逃げ切り[15]、2月29日の中山第9競走水仙賞でも逃げて4着に粘る[14]。スプリングカップではスタート直後から先頭に立ち、2着馬に8馬身差を着ける逃げ切り勝ちで圧倒的人気に応えた[16]。
高崎の開催最終日となった2004年12月31日は第2競走C5/11普通・エイダイボタンで最後の勝利を挙げ、第8競走A/B1普通・ライトシーザーに騎乗するが、故障し競走中止に終わり、第9競走以降は雪で中止されたため、これが高崎での最終レースとなった[4]。
高崎廃止後は宇都宮に移籍し、3月14日の第6競走西川田賞・ブラックエンペラーが最後の勝利、第10競走平成16年度とちぎ大賞典・トウショウゼウス(11頭中11着)が宇都宮最後の騎乗、2日後の同16日のダイオライト記念・タワリングドリーム(11頭中10着)が現役最後の騎乗となった[17] [4]。
2009年に長男・元気が競馬学校を卒業した際には、「できれば騎手にしたくなかったけれど、今は素直にうれしい」とコメントした[18]。