ユキノサンロイヤル
From Wikipedia, the free encyclopedia
- 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[4]
2000年1月5日、中山競馬場での4歳新馬戦でデビューし、1着。2戦目の共同通信杯4歳ステークスはイーグルカフェの10着終わるが、続く山桜賞を勝って2勝目を挙げる。このあとプリンシパルステークスなどオープン特別に3走し、秋以降は900万下クラスを走る。2001年6月の三春駒特別を勝って3勝目とし、同じ年の12月の袖ケ浦特別で4勝目、2002年6月のさくらんぼ特別で5勝目と勝ち星を積み重ねて準オープンクラスに上がり、七夕賞ほか1戦を経て10月のニューマーケットカップを制してオープンクラスに上がった。 オープンクラスに上がってからは2年以上勝ち星はなかったものの2004年のアメリカジョッキークラブカップでダンツジャッジの3着に入るなどの走りも見せ、同じ年の有馬記念は除外対象から上位馬の回避で出走にこぎつけ[5][6]、レースではゼンノロブロイの10着となった。
2005年を迎え、初めの3戦で3連続3着としたあと、日経賞では先に抜け出したトウショウナイトを捕まえてハナ差下して重賞初勝利、1998年のテンジンショウグンに並ぶ8歳での日経賞制覇を遂げた[7]。西下して出走の天皇賞(春)9着以降は5着以内に入ったのが一度だけと成績が振るわなくなり、2006年8月に障害競走に転じて障害未勝利勝ち、障害オープン3着から東京オータムジャンプと3走するも平地競走に戻り福島記念14着、続くジャパンカップには唯一の美浦所属馬として出走し、ディープインパクトから3秒2離された最下位に終わった[8][9]。2007年7月に2走し、7月28日の障害オープン2着が最後の競馬となって9月6日付で競走馬登録を抹消された[3]。
引退後は乗馬となり[3]、初めは東京競馬場で繋養され誘導馬としても勤めていたが、誘導馬としてはゴール板付近で止まるとハミを噛んでしまう癖から隊列の後方を主に担当[8]。また、日本中央競馬会のCMに起用されたりもした[8]。その後、東京競馬場を退厩して2013年11月に越生町の乗馬クラブアイルに移動[2]。乗馬クラブアイルでは馬術競技馬としての調教を積み、またジャパン・スタッドブック・インターナショナルの引退名馬繋養展示事業の助成対象馬にもなっていたが将来的には助成金を返上して広く馬術競技馬として活動することが計画されていた矢先、誕生日前日の2015年4月9日朝に馬房内で立てなくなっているところを発見され、間もなくチアノーゼがあらわれ急性心不全で死亡した[2]。