丸岩城
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別名
丸屋の要害、横壁城
城郭構造
不明
築城主
不明
築城年
不明
(群馬県) | |
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丸岩城跡 | |
| 別名 | 丸屋の要害、横壁城 |
| 城郭構造 | 不明 |
| 築城主 | 不明 |
| 築城年 | 不明 |
| 主な城主 | 大戸浦野氏?、羽尾氏 |
| 廃城年 | 不明 |
| 遺構 | 曲輪、土塁 |
| 指定文化財 | 史跡等未指定[1] |
| 位置 | 北緯36度31分39.9秒 東経138度39分45.3秒 / 北緯36.527750度 東経138.662583度座標: 北緯36度31分39.9秒 東経138度39分45.3秒 / 北緯36.527750度 東経138.662583度 |
| 地図 | |
築城時期や築城過程は不明。『加沢記』では永禄6年(1563年)に羽根尾城主・羽尾道雲を攻めた真田氏の軍勢を大戸真楽斎が丸岩城で出迎えており、大戸浦野氏の持城であった可能性がある[2]。また、『長野原郷土誌』では元亀年間に羽尾道雲が麓の横壁城に在住していたと伝えられている[2]が、実際にはこの時期羽尾氏は没落しているので事実とはみなしがたい[3]。
天正12年(1584年)3月、真田氏から羽根尾領の奪回を目指した道雲の子・源六郎が、上杉景勝の支援の元で丸岩城に入った。源六郎は羽根尾城将の湯本三郎右衛門にも調略を仕掛け、羽根尾領の回復と真田領の分断を企図したが、やがて上杉氏の支援を受けられなくなり、12月までには丸岩城から退去したとみられる[3][4]。
