丹霞郷
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歴史
- 1933年(昭和8年)春 - 豊野村商工会で町発展の一環として事業を計画し、長野市出身の国会議員田中弥助を介して、当時の帝展審査員 岡田三郎助のほか、和田三造・町田曲江・加藤静児ら一流の画家を招いて豊野近郷の名所を訪ね歩いた。たまたま平出地区の庚申塚古墳周辺を訪れ、桃の花の満開の様を桃源郷の風景にもなぞらえて描画された。この時、平出の前田盛之助園芸組合長が案内をして、丹霞郷と名づけてもらう。
- 1938年(昭和13年) - 田中弥助から和田三造画伯書の大額が平出神社に寄進される。
- 1968年(昭和43年) - それまで庚申塚古墳の南側周辺にあった丹霞郷が、この年の構造改善事業によって、東方の俗称十文字の山林9町歩を新たに桃畑として造成し加える。
