久下戸
埼玉県川越市の地名
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地理
歴史
古くは古尾谷庄三芳野里に属し、久家土とも書かれた[5][6]。平安時代の和名類聚抄に現れる入間郡郡家郷を久下戸に比定されることもあるが、現在の狭山市とする説もある[7]。江戸時代は畑が多く水田は少なかった[6]。川越城下より新座郡引股町[注釈 1]に至る街道がこの地を通っていた[5][6]。江戸期を通じて河越城付の村であった[5][6]。『新編武蔵風土記稿』では家数170軒[6]。この時代の小名として新堤、綿ノ葉、石井、大ノ田、蔵ノ浦、曲目、八反目、五反田、中戈、西馬場、中瀬、七ツ島が挙げられる[5][6]。
明治時代に入って1889年(明治22年)4月1日の町村制施行に伴い、入間郡並木村連合戸長役場区域にあった久下戸村は、同区域にあった牛子村・今泉村・南田島村・並木村・澁井村・木野目村及び古市場村連合戸長役場区域にあった古市場村及び澁井村と合併し南古谷村の大字のひとつとなった[9]。1876年(明治9年)の人口は879人[10]。1955年(昭和30年)4月1日、南古谷村は高階村・名細村・霞ヶ関村・山田村・古谷村・大東村・福原村と共に川越市に編入され、久下戸は川越市の大字のひとつとなった。 1967年(昭和42年)11月1日、東南部の一部を大字渋井の飛地と併せ、大字萱沼(かいぬま)が成立した。
史跡
世帯数と人口
小・中学校の学区
| 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 全域 | 川越市立南古谷小学校 | 川越市立南古谷中学校 |
交通
鉄道
バス
- コミュニティバス「川越シャトル」- 地内西部をかすめている。停留所は過去に設置されていたが、川越シャトルの見直しに伴う再編[13]により、現在は設置されていない。なお、最寄りの停留所は、今泉停留所が地内西部から至近距離にある。
過去の路線
道路
- 埼玉県道113号川越新座線 - 地内を東南から西北に走っている。
施設
- 川越東高等学校
- 川越市立南古谷中学校
- 南古谷病院
- 下久下戸公民館
- 上久下戸集会所
- 宮本公民館
- JR東日本川越車両センター
- 県営川越久下戸団地
- 埼玉県石油会館
- 鉄構会館
- 氷川神社 - 文化8年(1811年)、奥貫五平次正定他によって奉納された算額(川越市文化財[14])が納められている[4]。