並木 (川越市)
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歴史
古くは古尾谷郷三芳野里に属した[5][6]。正保年間より松平伊豆守の所領であったが、1709年(宝永6年)には、本目讃岐守・河野長十郎の両名に分賜された[5][6]。1811年(文化8年)御料所となり、同年川越藩主・松平大和守の所領となった[5][6]。また、九十川縁と亀久保(現ふじみ野市亀久保付近)に新田、武蔵野新開の飛地を持ち、それぞれ1656年(明暦2年)、1694年(元禄7年)に検地を受けている[5][6]。この時代の小名として七段田、かつひやう、たいはいが挙げられる[5][6]。
明治時代に入って1889年(明治22年)4月1日の町村制施行に伴い、入間郡並木村連合戸長役場区域にあった並木村は同区域にあった牛子村・今泉村・南田島村・久下戸村・木野目村及び入間郡古市場村連合戸長役場区域にあった古市場村、澁井村と合併し南古谷村の大字のひとつとなった[7]。1876年(明治9年)の人口は210人[8]。1955年(昭和30年)4月1日、南古谷村は高階村・名細村・霞ヶ関村・山田村・古谷村・大東村・福原村と共に川越市に編入され、並木は川越市の大字のひとつとなった。1975年(昭和50年)5月17日、西北部のうち町名地番整理を行った場所のみを並木新町とし、大字並木は東西に分断された。この西側部分は並木字西田を除き1983年(昭和58年)3月2日に大中居・南田島・木野目の各一部と合併して並木西町となり、分断は大部分が解消された[9]。また残りの並木字西田も2004年(平成16年)2月21日木野目・南田島のそれぞれ一部と併せ藤木町となり、分断は完全に解消された[10]。
世帯数と人口
小・中学校の学区
| 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 全域 | 川越市立南古谷小学校 | 川越市立東中学校 |