久保田きぬ子
From Wikipedia, the free encyclopedia
|
『月刊婦人展望』1965年9月号より | |
| 人物情報 | |
|---|---|
| 生誕 |
1913年2月10日 |
| 死没 | 1985年12月24日(72歳没) |
| 国籍 |
|
| 出身校 |
日本女子大学英文科 東京大学法学部 |
| 両親 | 久保田金五郎(相川町長) |
| 学問 | |
| 研究分野 | |
| 研究機関 | |
| 学会 | アメリカ学会会長 |
久保田 きぬ子(くぼた きぬこ、1913年2月10日 - 1985年12月24日)は、日本の憲法学者。元立教大学法学部教授、元成蹊大学法学部教授、元東北学院大学法学部教授。比較憲法とプライバシーの権威として知られるほか、1961年(昭和36年)から3回にわたり国連総会の日本政府代表代理を務めた[1]。東京大学初の女性学生の一人。中央教育審議会委員や文部省教育職員養成審議会委員などを歴任。勲三等宝冠章受賞[1]。専門はアメリカ憲法、プライバシー権など。
旧相川町(現新潟県佐渡市)出身。国連総会の政府代表代理、中央教育審議会や被爆者対策基本問題懇談会の委員、東京都知事顧問などを歴任。父は元相川町長の久保田金五郎 (8代目)、祖父は新潟県第27大区副大区長を務めた久保田金五郎 (7代目)。従弟小父に青野季吉、再従弟に青野聰がいる。
藤田晴子などと並び、東京大学初の女子学生の一人である(入学当時33歳)。東京大学法学部を受験した理由は、(1)試験が外国語と論文だけで受験準備の必要がなかったこと、(2)婚期を逸し、一生自立していく必要があったが、東大での勉学がその役に立つかもしれないと考えたこと、(3)日本女子大学の学生時代から政治的、社会的な問題に関心があったことの3点であったと、後に回顧している[2]。
指導教官は宮沢俊義[3]。アメリカ憲法を研究するため、アメリカに詳しい高木八尺の薫陶も受けた[3]。また、プリンストン大学に留学した際は、エドワード・S・コーウィンの指導を受けた[4]。
「宴のあと」事件では、原告の有田八郎に従来の名誉毀損ではなく、プライバシーの侵害で訴えることを提案するなど、法律家として日本で馴染みがなかったプライバシーの概念を広めた[5]。
日曜日授業参観事件については、「この事件はそもそも裁判所で争うに価する程の問題であろうか。さらにまた、信教の自由を持ち出して論ずべき程の事件であろうか。(中略)常識的に考えて解決すべき問題である」と述べ[6]、訴訟以外の方法による解決を主張した。
略歴
- 1934年 日本女子大学英文科卒業[8]
- 1946年5月 東京大学法学部入学[9]
- 1949年 東京大学法学部卒業[10]
- 1949年 東京大学特別研究生(前期のみ)[3]
- 日本女子大学非常勤講師(アメリカ政治を担当)[3]
- 1952年 プリンストン大学大学院留学(当時のプリンストン大学は男子校)[11]
- 1954年 東京大学法学部助手(比較法研究室)[12]
- 1959年4月 立教大学[12]法学部助教授(日米の比較憲法を担当)[13][14]
- 1961年 国連総会政府代表代理
- 1964年 立教大学法学部教授
- 1964年2月~5月 セントラル・ミシガン大学、ロード・アイランド大学で講義[15]
- 成蹊大学法学部教授(憲法1部を担当。のちに、憲法2部、比較憲法も併せて担当)[16]
- 1972年 中央教育審議会の委員に就任[17]。
- 東北学院大学法学部教授