久富達夫
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東京市深川区出身。東京帝国大学工学部〔1922年〕卒、 ラグビーをやりたくて学士入学して東京帝大法学部〔1924年〕卒。 1924年、大阪毎日新聞社に入り、アフリカに特派。1929年、東京日日新聞(のちの毎日新聞)政治部に転勤。1934〜1938年、政治部長、編集総務[1]。
1940年、近衛文麿首相に望まれて、内閣情報局次長。日本出版会会長、NHK専務理事を経て、再び情報局次長となる。ポツダム宣言後の1945年8月1日に、内閣情報局総裁の下村宏へ、「終戦するには、陛下に自らマイクの前に立って放送していただく。陛下が国民に直接終戦を宣言させる。」と、玉音放送を発案をする。下村の秘書官だった川本信正を通じて、佐藤朝生内閣官房総務課長へ調整を依頼、昭和天皇への上奏が実現[2]、昭和天皇による玉音放送がラジオで放送された[3][4]。
1946年、公職追放、1951年解除後日本航空協会副会長。1952年日本教科図書販売社長、1957年日本教育テレビ(現・テレビ朝日)取締役[5]、1958年国立競技場会長、オリンピック東京大会組織委員など歴任。アマのスポーツ界の指導者で、自らも柔道、水泳、ラグビー、陸上競技をした。
受賞
- 交通文化賞〔昭和38年〕
- 藍綬褒章〔昭和39年〕
- ポール・ティサンディエ褒章(国際航空協会)〔昭和43年〕
- 勲二等旭日重光章〔昭和43年〕