この地区はかつては3つの川(安里川、久茂地川、国場川)と海に囲まれた浮島で、そこに14世紀後半に中国大陸からの移民(以下、渡来人)が住み着いて集落を作り、久米村(くにんだ)と呼ばれた。その渡来人たちは久米三十六姓と呼ばれ、中国との貿易や当時の東南アジア諸国との貿易を行い、琉球王国の大交易時代を支えた。中国の貿易政策の変更のあおりをうけて一旦は衰退したが、1609年の薩摩藩による琉球進攻後、再び中国貿易が推進されてこの地域が復興した。琉球王国の政治家であり教育家として知られる程順則はこの地区の出身である。[1]