久米田古墳群
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春木川右岸の久米田山丘陵上に立地している[2]。丘陵上の8基の古墳[3]から構成されているが、既に消滅した塚状地形の記録が複数残ることから、本来はもう数基の古墳が存在したと考えられている[4]。
古墳群は丘陵上の浅い谷を境に南北に大別され、丘陵北縁の貝吹山古墳を中心とする北側のグループと、風吹山古墳を中心とする南側のグループに分けられる。貝吹山古墳は、和泉中部地域の首長墓としてはもっとも古く、4世紀後半(古墳時代前期後葉。Ⅰ期末からⅡ期初頭)に築造された前方後円墳である。貝吹山古墳を端緒として古墳時代前期に北側グループが形成され、南側グループは5世紀初頭(古墳時代中期初頭。Ⅲ期古相)の風吹山古墳から5世紀半ばまで古墳の築造が継続された[5]。
かつては岸和田市摩湯町に所在する摩湯山古墳がもっとも古いと考えられてきたが、近年の調査で貝吹山古墳がより古いことが判明した。摩湯山古墳周辺でも古墳の築造が継続されることから、摩湯山古墳の被葬者と久米田古墳群の被葬者は、異なる首長系列であったと考えられる[5]。
久米田古墳群の造墓母体となった勢力の集落域は判明していない。久米田池の築造に伴い遺跡が水没したという可能性と、丘陵北側の大町遺跡などの集落群の可能性が提示されるにとどまっている[6]。
