摩湯山古墳
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| 摩湯山古墳 | |
|---|---|
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墳丘(左に前方部、右奥に後円部) | |
| 所在地 | 大阪府岸和田市摩湯町 |
| 位置 | 北緯34度27分44.70秒 東経135度26分0.05秒 / 北緯34.4624167度 東経135.4333472度座標: 北緯34度27分44.70秒 東経135度26分0.05秒 / 北緯34.4624167度 東経135.4333472度 |
| 形状 | 前方後円墳(柄鏡式) |
| 規模 | 墳丘長200m |
| 埋葬施設 | (推定)竪穴式石室 |
| 出土品 | 土師器・埴輪 |
| 陪塚 |
馬子塚古墳 イナリ古墳 |
| 築造時期 | 4世紀後半 |
| 史跡 | 国の史跡「摩湯山古墳」 |
| 特記事項 |
全国第36位の規模[1] 佐紀陵山古墳と相似形 |
| 地図 | |
大阪府南部、南南東から延びる丘陵の北西先端部において、丘尾を切断して築造された巨大前方後円墳である[2]。1997-1998年度(平成9-10年度)に周濠周堤部の発掘調査が実施されているが[2][3]、本格的な調査は実施されていない。
墳形は前方部が未発達の柄鏡式の前方後円形で、前方部を北西方に向ける[2]。墳丘外表では葺石・円筒埴輪列(器財埴輪・鰭付円筒埴輪・朝顔形埴輪含む)が認められる[2]。墳丘左右くびれ部には造出を付すとみられる[2]。墳丘周囲には周濠が認められるが、現在はため池に改変されている[4]。埋葬施設は明らかでないが、後円部中央における陥没坑(盗掘坑か)および緑泥片岩の散在から竪穴式石室と推定される[2]。出土品としては前述の埴輪片のほか、墳頂部からの土師器(高坏)がある[5][4]。また陪塚と推定される古墳として馬子塚古墳・イナリ古墳(稲荷山古墳)などがある[5][2]。
築造時期は、古墳時代前期後半の4世紀後半[4][6](または4世紀末[2])頃の築造と推定される。前期古墳としては畿内でも屈指の規模であり、和泉地方の前方後円墳としては最古級の古墳として位置づけられる[2]。
遺跡歴
墳丘
陪塚
摩湯山古墳付近には陪塚(陪冢)と推定される古墳として、南側に馬子塚古墳(北緯34度27分41.74秒 東経135度25分56.25秒 / 北緯34.4615944度 東経135.4322917度)、北側にイナリ古墳(稲荷山古墳、北緯34度27分52.61秒 東経135度26分1.62秒)がある[2]。またメゲ谷という地に狐塚があったというほか、摩湯山古墳の北東側の淡路神社境内でも円筒埴輪が出土しており、同地でも古墳の存在が推測される[2]。
それらのうち馬子塚古墳は、摩湯山古墳の南側に所在する方墳で、一辺約35メートルを測る。墳丘は2段築成。墳丘外表では円筒埴輪が存在するとされる。埋葬施設は粘土槨と推定される。1958年(昭和33年)の長池(摩湯山古墳前方部正面の池)の堤補修工事の際に墳丘は大きく削平されているが、その際に斜縁二神二獣鏡・管玉15個が出土している。築造時期は4世紀後半(または5世紀初頭)頃と推定される[4][2]。
- 馬子塚古墳 衝立形埴輪片・蓋形埴輪片
右下は浄行寺古墳出土埴輪。大阪府立弥生文化博物館企画展示時に撮影。
文化財
国の史跡
- 摩湯山古墳 - 1956年(昭和31年)5月15日指定、2010年(平成22年)8月5日に史跡範囲の追加指定[7]。