乙田修三
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鶴来町(現白山市)に生まれる。4歳の時、事故で目を怪我しそれがもとで弱視となる(30代で右目の視力を失い、左目もコンタクトレンズを入れて0.3程度しか見えない)。地元小中学校の音楽の授業で歌う喜びに目覚める。中学校卒業後は働きながら石川県立鶴来高等学校定時制に通う一方、歌手の道を志しレッスンに励む。
各地ののど自慢大会で優秀な成績をおさめる。1953年、コロムビア全国歌謡コンクール男子の部で準優勝し、作曲家の田村しげるに認められ上京。その後松島詩子の紹介で吉田矢健治の門下生となる。
1957年、念願のキングレコードの歌手オーディションに合格しプロデビューのきっかけをつかむが、兄の急逝により断念、恩師吉田矢と松島の「東京でなくても歌の仕事はある。作曲したり後輩を指導したりすることもできるよ」との言葉に送られて帰郷する。帰郷後、鶴来と金沢で歌謡教室を開く。
1969年、梅木かつよし作詞の『片山津ブルース』が全国発売となる。
1988年、「郷土の歌謡界の水準向上に貢献した」として、北國芸能賞を受賞。