灘麻太郎
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北海道札幌市生まれ[1]。国鉄勤務の父に従って幼少期は道内各地を転々とした後に室蘭市に移る[1]。小学5年生の頃に大人が打つ麻雀を後ろで見てルールを覚える[2]。
北海道室蘭栄高等学校を経て、北海学園大学経済学部に入学[2]。大学在学中よりすすきののキャバレーで支配人らと麻雀を打ちステージで歌を歌うという生活を送り[1]、麻雀で生計を立てることを誓う。卒業後7年間は各地を転々としいわゆる麻雀放浪をする[4][5]。
1976年、第1期最高位戦で優勝(順位率部門)。第1期プロ名人位、第10期から第13期まで4期連続王位など数多くのタイトルを獲得。
1981年、小島武夫を中心に畑正憲等と共に日本プロ麻雀連盟を創設、理事長となる[5]。1984年から小島の後を受け継ぎ第2代会長を務める[4]。会長職を30年務め、2013年に森山茂和に会長職を譲り、名誉会長に就任[5][6]。
2016年、第6期麻雀グランプリMAX決勝卓に進出。和久津晶、HIRO柴田、柴田吉和といった中堅どころを相手にトータル唯一のプラスとなり79歳にして同タイトル初優勝、連盟の最高齢タイトル戴冠記録を更新した[7]。
雀風・人物
- 雀風は鳴きを用いた速攻派で、切れ味鋭い打ち筋であり、相手のリーチに対しては待ちを絞り込み、押し返す姿勢から「カミソリ灘」の異名を持つ[1][4]。第1期最高位戦の打ち方を見た週刊アサヒ芸能の編集者が「カミソリのような切れ味」と評し、「カミソリ灘の喧嘩麻雀」という連載の題名に採用したことがきっかけだという[5]。
- 神戸に7年間暮らすなど関西在住歴が長い[2]。2019年現在は東京在住[1]。
- 後述の歌手活動の他、文筆業で多く収入を得ており、2013年の時点で収入の7割が原稿料とのこと[2]。文壇関係者との交流も多く、五味康祐、花登筺とはよく麻雀を打つ間柄だったといい、連盟創設に携わった畑正憲とは3-4日連続で徹夜麻雀をしたこともあるという[8]。
- 酒は一滴も飲めない。ただし酒席にいるのは嫌いではないという[9]。
- 北海道を離れて60年以上経つが、高校や大学の同級生とは現在でも連絡を取り合う関係だという[1]。
歌手活動
出演
テレビ
- よしもと麻雀倶楽部(サンテレビ制作、1997年4月 - 1999年3月)
- モンド21麻雀プロリーグ(MONDO21)
著書
- プロ麻雀魂其の三 不敗の型 灘麻太郎(毎日コミュニケーションズ)2005年4月
- 麻雀人国記 懲りない面子77人(学研)2004年9月
他、多数