Wikiwand AI

九条良通

平安時代末期~鎌倉時代初期の公卿、歌人。九条兼実の長男。正二位・内大臣。勅撰集『千載和歌集』に4首入集。 From Wikipedia, the free encyclopedia

九条 良通(くじょう よしみち)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人。関白・九条兼実の長男。官位は正二位・内大臣。九条内大臣、冷泉内大臣と号す。

概要 凡例九条良通, 時代 ...
 
九条良通
『天子摂関御影』 九条良通 (良通公)
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代初期
生誕 仁安2年11月6日(1167年12月19日)
死没 文治4年2月20日(1188年3月19日)
官位 正二位、内大臣
主君 高倉天皇→安徳天皇→後鳥羽天皇
氏族 九条家
父母 父:九条兼実、母:藤原兼子(藤原季行の娘)
兄弟 良通、良経、任子、良円、良平、良快、良輔、良尋、良海、良恵、玉日
妻 藤原兼雅の娘
テンプレートを表示
閉じる

経歴

九条兼実の嫡男として周囲の期待を受けて育ち、また伯母の皇嘉門院聖子の猶子となる。承安5年(1175年)従五位上に元服[1]して初叙。侍従・右近衛中将を経て、治承2年12月(1179年2月)従三位に叙せられ公卿に列す。

治承3年(1179年)従二位・権中納言兼右近衛大将、養和2年(1182年)権大納言と摂関家の子弟として順調に昇進し、文治2年(1186年)摂政・近衛基通の失脚に伴い父・兼実が摂政に任ぜられた6ヶ月後、上位者5人を越えて20歳にして内大臣兼左近衛大将に昇る。しかし、2年後の文治4年(1188年)に病を得て急死した。享年22。良通の急死に衝撃を受けた父の兼実が出家を考えたほどだったという。

良通の早逝のため、九条家嫡流は同母弟の良経に受け継がれることとなった。なお、良通が聖子から継承した最勝金剛院領などの皇嘉門院領は、後の九条家家領の源流になった。

人物

若年でありながら和漢の文学に通じた才人として知られ、勅撰歌人として『千載和歌集』に4首が入集[2]。『古今著聞集』には、薨去して間もない良通が良経の夢枕に現れ、自らの無念の思いを込めた漢詩を吟じる説話がある。

官歴

さらに見る 和暦(西暦), 月日(旧暦) ...
九条良通の官歴表
和暦(西暦) 月日(旧暦) 年齢 [注 1] 事項
承安5年/安元元年(1175年) 3月7日 9歳 元服し従五位上に叙す
4月7日 侍従に任ず(藤原隆忠の右中将任官に伴う)
12月10日 正五位下に昇叙
安元2年(1176年) 12月5日 10歳 従四位下に昇叙
治承元年(1177年) 12月15日 11歳 右近衛権中将に転任(元・侍従)
治承2年(1178年) 1月5日 12歳 従四位上に昇叙(臨時)
1月28日 兼播磨権介
6月7日 正四位下に昇叙(臨時)
12月24日 従三位に昇叙(父である右大臣・九条兼実からの坊官賞の譲りによる)
治承3年(1179年) 10月9日 13歳 正三位に昇叙
12月17日 従二位に昇叙、権中納言に任ず
12月19日 兼右近衛大将
治承6年/寿永元年(1182年) 10月3日 16歳 権大納言に転任(上臈3人を越える)
10月7日 右近衛大将如元
寿永2年(1183年) 1月5日 17歳 正二位に昇叙
文治2年(1186年) 10月29日 20歳 内大臣に任ず、右近衛大将の兼任宣旨を下される
11月2日 拝賀、先大将還宣旨
12月27日 左近衛大将に転任(徳大寺実定の辞任による)
文治4年(1188年) 2月20日 22歳 頓死
閉じる

系譜

脚注

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks