藤原季行
From Wikipedia, the free encyclopedia
大治5年(1130年)阿波守に任ぜられると、能登国・因幡国・武蔵国などの地方官や右兵衛権佐を務める。久安元年(1145年)従四位下、久安3年(1147年)従四位上、久安5年(1149年)正四位下と鳥羽院政期中期に順調に昇進し、その後も久安6年(1150年)土佐守、久寿2年(1155年)讃岐守と引き続き地方官を務めた。この間の保元元年(1156年)季行は讃岐守の官職にあったが、保元の乱によって讃岐国への流罪となった崇徳上皇の護送を担当している。
保元2年(1157年)讃岐守を去り、6ヶ国約30年近くに亘った地方官を離れる。後白河院政初頭の保元4年(1159年)正月に従三位に叙せられて、道綱流としては曾祖父の藤原兼経以来116年ぶりに公卿に列す。同年2月には室が乳母を務めていた姝子内親王が二条天皇の中宮に冊立されると、その中宮亮に任ぜられた。