声聞と縁覚の二乗は現世に対する執着を断った聖者(阿羅漢)ではあるが、現実逃避的・自己中心的であり利他の行を忘れたものとして大乗仏教からは小乗と称された[1]。直接に小乗と名指しで非難されたのは、西北インドに勢力を有した説一切有部や犢子部(とくしぶ)などのいくつかの部派であったらしい[1]。
『大智度論』では、小乗と呼ばれた彼らは大願も大慈大悲もなく、一切の功徳も求めようとせず、ただ老病死の苦から脱することのみを求めるとされている[1]。
法華経では、二乗の者も本来菩薩であるという開会の立場をとり、二乗成仏を説く[1]。