五人委員会 (アメリカ独立宣言)
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アメリカ革命期における五人委員会(ごにんいいんかい、Committee of Five)とは、アメリカ独立宣言の草案を起草し、第2回大陸会議に提出した、5人のメンバーからなる委員会である。この委員会は、1776年6月11日に設立され、独立宣言が公布された同年7月5日まで運営された。
五人委員会を構成する委員は、以下の5人である。
- ジョン・アダムズ - マサチューセッツ湾植民地代表。後に第2代大統領に就任[1]。
- トーマス・ジェファーソン - バージニア植民地代表。後に第3代大統領に就任[2]。
- ベンジャミン・フランクリン - ペンシルベニア植民地代表。「建国の父」の中でも最も有名な知識人の一人として知られ、その学術論文や出版物はアメリカ革命に大きな影響を与えた。
- ロジャー・シャーマン - コネチカット植民地代表。同盟規約、独立宣言、連合規約、合衆国憲法という、アメリカ合衆国建国に関する4つの文書全てに署名した唯一の人物[3]。
- ロバート・リビングストン - ニューヨーク植民地代表。後に駐仏公使としてルイジアナ買収の交渉にあたった[4]。
独立宣言の起草



大陸会議の13植民地の代表たちは、4月12日のノースカロライナ植民地の決議および5月15日のバージニア植民地の決議によって提案された、13植民地の主権独立を宣言をするかどうかの最終的な決定を7月1日(月曜日)まで延期する提案を採択した。この提案は「リー決議」と呼ばれ、バージニア植民地代表のリチャード・ヘンリー・リーが6月7日に議会に提出したものである。大陸会議は、13植民地が大英帝国から離脱することを世界に宣言する文言を、与えられた3週間の間に起草する委員会を任命することに合意した。
6月11日、マサチューセッツのジョン・アダムス、コネチカットのロジャー・シャーマン、ニューヨークのロバート・リビングストン、ペンシルベニアのベンジャミン・フランクリン、バージニアのトーマス・ジェファーソンの5人が起草委員に任命された。この委員会は議事録を残していないため、起草作業がどのように行われたかは不明である。ジェファーソンとアダムスが何年も後に書いた記録はよく引用されているが、矛盾しており、完全に信頼できるものではない[5]。
初稿
委員会は、宣言の大枠を議論した後、ジェファーソンが初稿を書くことを決めた[6]。議会の多忙なスケジュールの中で、ジェファーソンは17日間という限られた時間の中で草稿を書き上げた[7]。その後、ジェファーソンは他の委員と相談し、初稿を見直して大幅に修正した[8]。
変更点の中には、当初ジェファーソンが「生命、自由、幸福の追求の維持」(preservation of life, & liberty, & the pursuit of happiness)としていたものを、より簡潔な表現である「生命、自由、幸福の追求」(Life, Liberty and the pursuit of Happiness)に単純化したことがある。これは、ジョン・ロックが「生命、自由、財産」(life, liberty, and estate)という言葉で私有財産を自然権として表現していたことと共通する部分もあるが、異なるものである[9]。
ジェファーソンの初稿には、イギリスの奴隷制に対する痛烈な批判も含まれていたが、アメリカの奴隷主に配慮して後に削除された[10]。
