越後国蒲原郡金屋村(新潟県北蒲原郡金屋村、笹岡村、笹神村を経て現阿賀野市)出身。19歳の時、父が没し家督を相続する。
1870年(明治3年)越後府により治河会議所会計方試補に任ぜられ、1872年(明治5年)小区戸長となった。1875年(明治8年)第22大区長を最後に官職を辞した。
1879年(明治12年)同志と共に第百十六国立銀行[注 1]を設立し、頭取に就任した。1897年(明治30年)私立銀行に転換後は取締役を務めた。
同年9月には新潟県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から[4]1904年(明治37年)9月28日まで務めた。