五条橋下 From Wikipedia, the free encyclopedia 五条橋下(ごじょうはしした)はかつて京都市下京区に存在した花街(遊廓)。 五条橋下は元は高瀬川近くの畑地で宝暦8年(1758年)、宅地開発され、宝暦11年2月(1761年)、上七軒より茶屋株(茶屋営業許可証)を借受、花街を始めた[1]。南京極町、平居町、都市町を中心に南側に存在した七条新地と共に発展した。場所が五条大橋の近くであった為、「五条橋下」と呼ばれ、また「六条新地」と呼ばれた[1]。 明治に入り、七条通に近かった七条新地が北上し、五条橋下は大正初期に合併され、1958年(昭和33年)、売春防止法施行まで遊廓として営業した。平居町には三階建ての貸座敷が立ち並んでいた[2]。 脚注 1 2 亡くなった京の廓 上 1958, p. 44. ↑ 亡くなった京の廓 上 1958, p. 45. 出典 田中緑紅『亡くなった京の花街』京を語る会、1958年 京を語る会(編)『京都遊廓見聞録』京を語る会、1993年 表話編歴京の花街六花街 祇園甲部 祇園東 宮川町 先斗町 上七軒 嶋原 花街の「をどり」 都をどり 鴨川をどり 京おどり 北野をどり 祇園をどり 現存しない花街(遊廓)年号は廃止年を表す 明治・大正・昭和初期 清水新地(1873年) 白梅図子(〃) 辰巳新地(1874年) 三本木(1876年) 壬生(1881年) 下河原(1886年) 二条新地(1887年) 墨染(1911年) 五条橋下(1912年頃) 下の森(1926年頃) 売春防止法施行時(1958年) 五番町 七条新地 撞木町 橋本(八幡橋本) 猪崎(福知山) 新浜(宮津) 朝代(舞鶴) 龍宮(同) 売春防止法施行後 中書島(1970年) 五条楽園(旧・七条新地、2011年) 教育機関 八坂女紅場学園 東山女子技芸学校 鴨川学園 関連用語 置屋 お茶屋 歌舞練場 芸妓 太夫 舞妓 関連組織 京都伝統伎芸振興財団 カテゴリ この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 この項目は、京都府に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:日本の都道府県/京都府)。表示編集 Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks