五経正義
唐の孔穎達等が撰した五経の疏
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概要
儒教の経典を研究する経学においては、漢から魏・晋の時代には、経書の本文の「経」に対して「注」を附す形式が盛んであり、その後の南北朝時代には、その「経」と「注」の両者に対して「義疏」を附す形式が盛んであった。南朝と北朝とでは、それぞれ主に用いる注が異なっており、経学の傾向に相違があった[1]。
唐の太宗は、経学の盛大なる様を誇示し、なおかつ南北の諸説を統一しようという意図を持って、孔穎達に代表される多くの学者を動員し、『五経義賛』を撰せしめた。これが後に改名されて『五経正義』となった[2]。
『五経正義』の編纂過程は二段階に分かれており、まず貞観12年から14年にかけて孔穎達らが編纂を行い、その後馬嘉運らの批判を受けて、貞観16年に再度孔穎達を中心として編纂が行われた[3]。
内容
編纂者
『五経正義』の編纂は、孔穎達が中心となってその任に当たったが、『五経正義』の各正義の序文には編集に協力した者のリストが付されている。以下に一覧を示す[3]。
| 書名 | 編纂者 | 審定者 |
|---|---|---|
| 周易正義 | 馬嘉運、趙乾叶 | 蘇徳融 |
| 尚書正義 | 王德韶、李子雲 | 朱長才、蘇徳融、随徳蘇、王士雄 |
| 毛詩正義 | 王德韶、齊威 | 趙乾叶、賈普曜 |
| 礼記正義 | 朱子奢、李善信、賈公彦、柳士宣、范義頵、張權 | 周玄逵、趙君賛、王士雄 |
| 春秋正義 | 谷那律、楊士勛、朱長才 | 馬嘉運、王德韶、蘇徳融、随徳蘇 |
他に関与が疑われる人物として、顔師古がいる。顔師古が『正義』編纂に加わっていたことは、『貞観政要』や『旧唐書』孔穎達伝に記載されているが、上の『正義』序には顔師古への言及が全くない[3]。