井上友一郎
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大阪府西成郡中津町(後の大阪市東淀川区。その後大淀区を経て現・北区)生まれ[1]。本名は友一[1]。
商業学校在学中、野球と小説乱読で学業を怠け、そのために中退し、その後各中学を転々とする[1]。1929年、関西大学第二商業学校を卒業し[2]、1930年に早稲田大学専門部法科入学。1931年『森林公園』を発表して川端康成に認められる[1]。また坂口安吾、田村泰次郎らとの同人誌『桜』で活動し、1934年「道化者」を発表[1]。
1936年、早稲田大学仏文科卒業[1]。同年「人民文庫」に参加[1]。
「都新聞」記者となり、1938年特派員として中国戦線に従軍した[1]。1939年「文学者」に『残夢』を発表、1940年『波の上』を刊行して作家生活に入る[1]。
戦後は風俗小説作家として活躍し、雑誌『風雪』に参加した。『絶壁』が宇野千代・北原武夫夫妻をモデルとしていると言われ、抗議を受けた[1]。日本文藝家協会理事などを経て、1970年にゴルフ場の霞台カントリークラブを創立、自ら社長となる[1]。
1997年に死去。