井上輝夫
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兵庫県西宮市夙川生まれ[2]。慶應義塾大学文学部仏文学科卒業[2]。同大学大学院を経て、フランスのニース大学で博士号取得[2]。弟弟子にル・クレジオがいた[3]。留学時代にキリスト教に入信。慶應義塾大学経済学部助教授・教授を経て[4]、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の新設に参画し[4]、1990年同キャンパス総合政策学部教授[4]。1999年から慶應義塾ニューヨーク学院長就任[4]。2005年定年退職、名誉教授、中部大学人文学部教授[4]。2010年、同大学を退職[5]。
1961年、会田千衣子、岡田隆彦、吉増剛造、鈴木伸治とともに詩誌『ドラムカン』を創刊、詩人として活動した[4]。吉増の第一詩集「出発」の序文を記している。慶應義塾大学中高等部の側にある「旅人かえらず」の詩碑の設置に関わった[4]。西欧文化のみならず、アラブ文化・イスラームに敏感な横顔もあった[6]。
家族
父の井上光二は童話を書いており、その童話をまとめた『草の芽 井上光二遺稿童話集』(発行者 井上輝夫、昭和61年)を刊行した。また、妹を戦災で失って悲しむ様子を、吉増剛造が書き留めている。