井土ヶ谷事件
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横浜居留地の警備のため上海より呼び寄せられていたフランス陸軍アフリカ猟歩兵第3大隊所属のJ・J・アンリ・カミュ少尉(J. J. Henri Camus、1842年生まれ[1])と士官2名は、程ヶ谷宿に向かうため乗馬で井土ヶ谷村に入ったところを、浪士3名に襲撃された。先頭に居たカミュは死亡した。同行した他の2名は逃走し命に別状はなかった。
神奈川奉行並合原猪三郎は捜査を開始したが、フランス公使ド・ベルクールおよびフランス海軍提督ジョレスには犯人逮捕は難しい旨が報告され、襲撃した犯人は不明のまま逮捕されなかった。ベルクールは事件の解決と謝罪のため、フランスに特使として外国奉行竹本正雅(甲斐守)を派遣することを徳川幕府に勧めた。12月、幕府は横浜鎖港の交渉を行うために外国奉行池田長発ら34名からなる横浜鎖港談判使節団を派遣。翌年3月、使節団はフランスを訪れ政府に事件を謝罪すると同時に、195,000フラン(35,000ドル)の扶助金を遺族に支払い事件は解決したが、鎖港の交渉は失敗に終わった。

