井手文子
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東京府東京市本郷区(現・東京都文京区本郷)生まれ[3]。自由学園高等部卒業。在学中、羽仁五郎を囲む世界史研究講座に参加し、1945年治安維持法により検挙される[4]。戦後は民主主義科学者協会(略称:民科)に所属して1948年の婦人問題研究会(1957年 日本女性史研究会に発展、1963年ごろ 活動停止)の結成に参加、松下圭一らと1960年[注釈 1]現代婦人問題研究会(1969年解散[6])にも参加[1]。平塚らいてうや雑誌「青鞜」の研究、『伊藤野枝全集』(學藝書林)の編纂を行った。1961年に刊行した『青鞜』(弘文堂)では、従来は平塚らいてうを中心として研究されていた青鞜社を、集団としての女性解放運動の視点からとらえ直した画期的な研究書として支持を得た[6]。1963年、三井禮子らと執筆した『現代婦人運動史年表』(三一書房)の刊行により、戦後のグループによる女性史研究の成果を示した[6]。
著書
単著
- 『青鞜――元始女性は太陽であった』 弘文堂 1961年10月
- 『「青鞜」の女たち』 海燕書房 1975年10月
- 『自由それは私自身――評伝・伊藤野枝』 筑摩書房 1979年10月(ちくまぶっくす)/新装版:パンドラ 2000年4月
- 『平塚らいてう――近代と神秘』 新潮社 1987年1月(新潮選書)
共編著
脚注
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注釈
出典
- 1 2 3 『現代人名情報事典』平凡社、1987年8月25日、94-95頁。NDLJP:12292348/53。 なお、同頁の文子の項目では「元夫」でなく「夫」(則雄の項目では「妻」)と記載。
- ↑ 「情報」『総合女性史研究』第17号、総合女性史研究会、2000年3月31日、98頁、NDLJP:11197703/52。「井手文子さん一九九九年一二月一〇日、杉並区の自宅で死去。七九歳」
- ↑ 『青鞜――元始女性は太陽であった』(弘文堂)の奥付にある著者略歴を参照。
- ↑ 「表現の自由」研究会『現代マスコミ人物事典』(1989年版)二十一世紀書院、1989年2月28日、55頁。NDLJP:12211721/31。 「井手文子」の項目を参照。
- ↑ 「婦人ニュース」『月刊婦人展望』第107号、財団法人婦選会館出版部、1963年8月10日、4頁、NDLJP:2273806/4。
- 1 2 3 『現代人物事典』朝日新聞社、1977年3月1日、124頁。NDLJP:12291628/73。
- ↑ 林郁(編著)「7 家庭の上手な壊しかた 井手文子(聞き手:林郁)」『家庭をおもしろくする法』晶文社〈毛利子来の親子塾 4〉、1987年8月30日、183-206頁。NDLJP:12150631/94。
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