松下圭一
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学説
概説
たとえば、批評家の山崎正和や堺屋太一などが文明論や社会形態論を論じることが知られているが[8]、松下の場合、政治制度論、経済体制論、社会形態論から、それらを裏付ける歴史的諸条件を基に「都市型社会」[9]の下での市民自治における政策型思考の設定・枠組みを課題に唱える[10]。その理論枠組みは、工業化 + 民主化 = 近代化段階の、主に日本などの近代化後進国における民主化は、社会権的側面の充足に重きが置かれてきた反面、自由権的側面に欠缺があることを土台とする。自由権的側面は、貨幣の浸透・個人の析出、教養・余暇の増大という事象において進展してゆくとする。「政府」概念も、自治体レベル・国レベル・国際レベルの3層構造を構想することで、ドイツ国法学流の「国家統治」概念を「市民自治」概念に置き換える「分節主権」を主張する。さらに、資本主義と社会主義及び共産主義などは「近代化」を目的とする選択手段の違いであること、また、「ナショナル・ミニマム」に対して、政策・制度設計の日常化を契機とした「シビル・ミニマム」を造語・理論化し[11]、2010年前後から頻繁に使われるようになった「官僚内閣制」という言葉も造語した[12]。
その理論を下敷きに政策論を展開する政治家として、菅直人[13]、江田五月などの名が挙げられる。
『シビル・ミニマムの思想』で毎日出版文化賞[13]、『市民参加』で吉野作造賞[13]を受賞。
批評
- 自治体レベルからの国の相対化に対して。八木秀次の言説
- 松下が1975年の著書『市民自治の憲法理論』(岩波書店、岩波新書)で主張する「市民自治」及びその具現たる「地域主権」とは究極のところ、近代国家の解体である。「市民(≒ 市民活動家)」が社会契約によって自治体政府・国家・国際機構という対等な3政府を創設する。そして地域主権国家の母体は基礎的自治体(現在の市町村)とし、基礎的自治体が担えぬ事務事業は広域自治体(都道府県)が担い、広域自治体が担えぬ事務事業を国が担うという『補完性原理』に基づくものとし、最終的には「国家観念の終焉」「国家主観観念の終焉」「国家観念は不要」(以上の3句は著書全般で述べられている)とする。即ち国家を媒体とせぬ、国家と無関係な地方自治の実現である。従来から国家主権、国家統治権を前提として地方自治が在ると考えられてきたのに対し、本説は国籍を問わぬ「市民(≒ 市民活動家)」が社会契約をして先ず市町村という「政府」を組織し、それで賄えぬ広域行政をする為に同様に都道府県なる「政府」、次いで中央政府を組織し、間接的ながら国際機構を組織するとしている。それは「国家統治」を否定する「逆の論理」であると同時に、「マルクスを使わぬマルクス主義(=国家観念・家族観念を解体し、共産主義の下に置く思想)」であるとする[14]。
- 国際レベルからの国の相対化に対して。価値観外交
- 松下と法政大で同僚だった藤田省三らがそうであるように、戦後思潮では「国体」概念は「天皇制」という概念で相対化された(天皇制#用語への批判参照)。但し、国家観念ないし国家主権を相対化するという意味軸では、2000年代以降の日本の外務省が外交方針の一つとするいわゆる「価値観外交」にも当てはまる。これは「普遍的価値(自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済)」に基づく価値観を持つ国々や人々との連携協調を推し進め、また支援し広めようとする考え方である。つまり現行の個々の国家主権とせめぎ合いを生じる契機を孕む普遍主義ないしグローバリズムに馴染む外交方針である。
もともとは米国の新保守主義アーヴィング・クリストルが提唱したものとされ、日本では上述の山崎正和が『大分裂の時代』『歴史の真実と政治の正義』等の著書で主題にし、安倍晋三、麻生太郎らが共鳴する政治家としてその名が挙がる(価値観外交参照)。