井染道夫
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サッカー歴
1917年(大正6年)に日本初のサッカー・クラブチームとして発足した、東京蹴球団に選手として参加。
1921年(大正10年)、上海で行われた第5回極東選手権競技大会のサッカー日本代表に選出され、選手として出場。この時の代表チームは日本サッカー史上初めての選抜チームとされている。また同年の明治大学体育会サッカー部の発足に於いては、中心的な役割を果した。他に、海軍機関学校のコーチなども務めた。
1923年(大正12年)12月、父・井染祿朗が寄贈した「井染杯」をかけて、第1回全国大学専門学校ア式蹴球大会が開催され、明治大学、慶應義塾大学、立教大学、法政大学、水戸高等学校の5校が参加。1925年の第3回大会まで開催された。
1923年12月23日に、関東大震災の犠牲となって死去したサッカー愛好者のイギリス外交官ウィリアム・ヘーグの追悼会と追悼試合が開催されたが、これらの実現を世話している[5]。
1929年に大日本蹴球協会(現在の日本サッカー協会(JFA))の理事に就任した(後に顧問)。