井田金七
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群馬県佐波郡玉村町大字上新田に生まれる[9][2][3]。生家・井田家は江戸時代には日光例幣使街道・玉村宿の名主・問屋・脇本陣[10]を務める家柄で、宝永2年(1705年)より酒造業・和泉屋を営んだ[11]。遠祖は畠山重忠[2]とも、那波一族とも那波氏の家臣ともいい[11]、17世紀の井田勘解由を初代としている[12]。
11代井田金七の長男として生まれた保一は、東京の旧制開成中学校を卒業[2][9]。塩谷青山の塾で漢学を学ぶ[2]。
1905年(明治38年)、家督を相続し前名・保一を改め襲名した[7][2][9]。家業の酒造業を経営したほか[2][9]、玉村銀行の重役や玉村信用組合の組合長を務める[2][9][13]。また天狗岩水利組合の役員も務め[2]、若者の指導のため青年同士会も設立した[2][9]。1918年(大正7年)時点で14町7反余りの田を有する地主であり[14]、貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[1]。
1913年(大正2年)、1917年(大正6年)の2度玉村町会議員に当選し[3]、1919年(大正8年)から2年間玉村町長を務める[2][9][15]。1927年(昭和2年)群馬県会議員に当選し、1931年(昭和6年)にも再選されたが任期中に死去した[2][9][5]。死因は腸チフス[2]。墓所は玉村町の神楽寺[2]。
生家主屋は建築年代を明らかにする史料を残しておらず、後年2階を増築し茅葺を板葺、さらに瓦葺に改めるなどの改造を受けているものの、18世紀前半の建築と考えられ[12][16]、玉村町の重要文化財に指定されている[16]。
家族・親族
井田家
- 父・11代 金七[2][9]
- 母・まさ - 木暮武太夫の妹[9]
- 妻・ノリ(1884年 - ?、群馬郡群南村下滝、群馬県会議員・天田長三郎の姪[2])[7]
- 長男・金七(1906年 - ?、前名・聡一郎[2]、1932年に家督を相続し前名・聡一郎を改め襲名、群馬県多額納税者、酒造業)[17]
井田保一の兄弟・姉妹
- 長弟・悌(戸籍上の名は「弟」[7])(1888年-1971年、群馬、明治33年 旧制前橋中学卒)
- 次弟・哲三(1891年 - ?)[7]
- 三弟・吾朗(1898年 - ?)[7]
- 四弟・文夫(1900年 - ?、群馬、のちに井田鐘蔵の養子となった[7]。サンヨー食品初代社長)
- 文夫の長男・井田毅
- 五弟・倬(1904年 - ?)[7]
- 長妹・サエ(小枝[2])(1894年 - ?、群馬、代議士木暮武太夫の妻)[7]
- 義弟(サエの夫[2])・木暮武太夫(群馬県多額納税者、旅館業、衆議院議員、参議院議員、運輸大臣)
