交響曲第2番 (ウォルトン)

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ウィリアム・ウォルトン交響曲 第2番英語Symphony No. 2)は、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー協会の依嘱作品として作曲された作品。

1955年11月、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー協会は、1957年リヴァプール市勅許状発行750周年に当たることからこれを記念する交響曲の作曲をウォルトンに委嘱した。ウォルトンは委嘱を受けたものの、元来、仕事を迅速に進めるタイプの作曲家ではなく、他の委嘱作の作曲も重なっていたため、交響曲の作曲にはなかなか着手できずにいた。加えて1957年初頭、ウォルトンは交通事故に遭い回復に努めねばならなくなり作曲の進行は更に遅れた。結局、1958年12月28日に予定された初演はウォルトンが作品を完成させることができずキャンセルとなった。ウォルトンの筆はゆっくりと進み、1957年暮れになって「(第2交響曲の)微かな光がわずかに瞬き始めた」と周囲に言える状態となった。この年と翌1958年を使って交響曲のスケッチに取り組み、1959年1月に第1楽章の草稿を完成し、1960年1月にそれを改訂、2月に第2楽章、同年7月22日に終楽章を仕上げ、ようやく全曲を完成している。当初の委嘱目的から見ると既に時機を逸していたため、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー協会はロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団が演奏することを条件に初演の場をその年のエディンバラ音楽祭に譲ることに同意した。

初演

献呈

ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー協会に献呈。1970年にセルが没すると、ウォルトンはこの曲を高く評価し普及に努めたセルに感謝して「ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー協会の委嘱により作曲され、ジョージ・セルの追悼に捧ぐ」と献辞を修正している[2]

概要

ヨーロッパ前衛音楽が上昇気流に乗っていた時局に、このように一見したところ保守的な作曲様式を採ったことは、酷評の的になった。しかしながら時代が下がるにつれて、本作はウォルトンならではの洗練された管弦楽法ゆえに見事に職人芸が発揮された、精巧で成熟した作品であることが認知されるようになってきた。終楽章では、十二音技法によって音列操作が行われていることも見過ごせない。

本作以降もウォルトンは交響曲の構想を練ってはいたものの、完成された交響曲としては、結局ウォルトンの最後の作品となった(交響曲第3番は未完)。

楽器編成

以下のような大編成のオーケストラが起用されている。

フルート3(第3フルートはピッコロと持ち替え)、オーボエ3(第3オーボエはイングリッシュホルンと持ち替え)、クラリネット3(第2クラリネットは変ホ管と持ち替え、第3クラリネットはバスクラリネットと持ち替え)、ファゴット3(第3ファゴットはコントラファゴットと持ち替え)、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ打楽器(奏者4人、ティンパニ、ミリタリードラム、スネアドラムバスドラムシンバルグロッケンシュピールヴィブラフォンシロフォンタンバリン)、ピアノチェレスタハープ2、弦五部[2]

構成

脚注

参考文献

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