長らくに渡り里山集落が形成されできたが、1987年の関西文化学術研究都市建設促進法の公布・施行を受け、1980年代後半より、関西文化学術研究都市として都市整備が開始され[3]、各地域毎にクラスター型の開発が行われた。
以後、近鉄けいはんな線や京奈和自動車道の整備に代表されるようにインフラ整備が行われた。
日本の里100選の一つ、穂谷地区を含むように生物多様性に富んだ里山が多く分布していた[4]。
1978年の「関西学術研究都市調査懇談会(座長:奥田東 元京都大学総長)」の提言から始まり、1983年に京都、大阪、奈良の3府県、関西経済団体などによって設立された「関西文化学術研究都市建設推進協議会」のもと、構想が具体化され、1987年の関西文化学術研究都市建設促進法の公布・施行を経て、国家プロジェクトとして本格的に都市建設が始まり、関西文化学術研究都市が形成された[3]。