今井城 (武蔵国)
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歴史
児玉党の今井氏が城主であったと言われている[1]。応永23年(1416年)の上杉禅秀の乱に際して今井氏は反乱側についたものと見られ、乱の後は附近に三田氏が台頭する中、今井氏は所領を没収されながらも細々と続いた。後の発掘調査によれば、文明14年(1482年)以降のいずれかの時点で城の墳墓が埋められ、その上に新しい城が築かれた痕跡があり、第三の勢力の進出を示唆している。この第三の勢力とは北条氏であり、新城築城は大永4年(1524年)の北条氏綱による江戸城攻略以降のことと考えられる。その後北条氏が上杉氏と対峙する中、今井城は北条氏が攻略線上に等間隔で配置した支城の一つとして機能していたが、天文20年(1551年)の平井城落城でその機能も無用となった。今井氏は天正年間までは続いていたとされるが、その後は城の存在は忘れられ、江戸時代に編まれた『新編武蔵風土記稿』にも「堀ノ内」の地名があること以外は何の言及もない[3][4]。
