信濃川に面した河岸段丘の先端に造られた山城である。東西を信濃川支流の渓谷に囲まれた要害で、曲輪や空堀・土塁・畝形阻塞などの遺構群が良好に遺存している[2]。平安時代末の寿永年間(1182年-1185年)には、木曽義仲に仕えた今井兼平の居城であったと伝承される(『中魚沼郡誌』)。城の南東側に土塁などの防備が構築されていないことから、南北朝時代には信濃国の市河氏管轄下にあったと考えられている。戦国時代には上杉氏の勢力下に入り、金子次郎右衛門が城番を務めたが、慶長3年(1598年)の上杉景勝の会津移封に伴い廃城となったという[1]。
2013年(平成25年)3月26日に新潟県指定史跡に指定された[1][3]。