畝状竪堀
戦国時代に築かれた城の防御設備
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構造と目的
畝状竪堀の構造は、土塁と竪堀(空堀)が交互に隣り合っている。 空堀と空堀の間には土塁があり、土塁と土塁の間には空堀がある[5][6]。
畝状竪堀の目的は、少人数で城を守れるようにするため。 土塁と竪堀を連続的に組み合わせると、寄せ手の進入路を堀底道だけに制限して曲輪の周りをキルゾーンにする効果がある。[要出典]
畝状竪堀は、係争地域の境目の城で、敵の進撃路に面する側に築かれることが多い。[要出典]
村上市の大葉沢城跡の解説では、山の斜面や尾根の先端部分に連続して設けられた畝状竪堀群は、主に敵の横移動を阻止し、一列になったところを攻撃するための遺構とされる[7]。また、大葉沢城跡では畝状竪堀群が城の南側に集中し、その先に本庄城があることから、本庄氏との争いの中で築かれた可能性が示されている[7]。岐阜県の篠脇城跡でも、横堀と畝状空堀群は麓から攻めのぼる敵勢に対する防御施設と説明され[8]、高知県の県史編さん事業でも、3本以上の連続した竪堀は畝状竪堀群とも呼ばれ、九州では境目の城に多く用いられていることが指摘されている[9]。
呼称
分布
九州北部

国人領主の秋月氏が畝状竪堀を積極的に建設したので、九州北部(筑前国中東部・豊前国西部・筑後国北部)は、畝状竪堀がある城が密集する[11]。なかでも長野城(豊前国)・馬ヶ岳城・益富城・荒平城・蔦ヶ岳城は、畝状竪堀の堀数が100本を超えている。
秋月氏の本拠地である古処山城・荒平城・益富城や、秋月氏の同盟勢力である一万田系高橋氏・豊前長野氏・星野氏・城井氏と敵対する勢力との境目地域には、畝状竪堀の堀数が多い城がある。
他の地域
東国においては、日本海側、特に新潟県・山形県・秋田県・長野県などの地域で畝状竪堀をもつ城が多い[6]。一方、東海地方・関東地方・東北地方の太平洋側・北海道地方には少ない[5][6]。また、織豊系城郭・アイヌのチャシは、畝状竪堀を積極的に築いていない。
各旧国内の城の総数に対する、畝状竪堀がある城の比率は、次表のとおりである。

